累計1710万部を超える「ガリレオシリーズ」。連載が始まった当時は、「科学的知識を使ったトリックは、敬遠される」とされていた。文藝春秋の初代担当者・花田朋子が語る「東野圭吾が常識を覆し、大ヒットシリーズを誕生させるまで」。

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 東野さんに初めてお会いしたのは1995年7月です。この年の4月に私は育休から「別册文藝春秋」編集部に復帰し、しばらくなかなか読む時間を作れなかった小説をむさぼり読んでいました。スニーカーのイラストが表紙になった東野さんの『同級生』(祥伝社・1993)を読んで手紙を書き、翌月に桜木町のホテルでお会いしました。

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 初対面の作家にお会いするときはいつも緊張しますが、東野さんはとにかく話術が巧みで、打合せの後はこれから書いていただける小説に対してわくわくする感情が抑えきれなかったです。当時の「別册文藝春秋」は季刊誌で、若手作家というよりは黒岩重吾さん、佐藤愛子さんといった大御所作家の発表媒体だったので、まずは書下ろしで長編小説を、という話になりました。東野さんは常に書きたいアイディアが複数ある作家で、この当時は『名探偵の掟』『怪笑小説』『悪意』などを小説誌に発表しながら、『天空の蜂』の書下ろしの準備をされていました。事故にあって死んだ妻の魂が生き残った娘に宿ってしまい、夫が悩むという小説はどうだろう、と提案され、「ぜひそれを書いてください」と即決し、逆に「このテーマは今までどこの出版社からも色よい返事をもらえなかったんですよねえ」と驚かれました。この作品が『秘密』(1998)です。

「秘密」(文春文庫)

 書下ろしの依頼はお引き受けいただいたものの、前述の原子力をテーマにした『天空の蜂』の取材が多岐にわたっていて、連載もいくつも抱えていらっしゃるため、取りかかっていただくのは少し先になりそうでした。そこで、書下ろし長編とは別に月刊誌の「オール讀物」に短編を書いていただけないかと相談してみました。東野さんが「自分はエンジニアだったし、物理トリックを使ったミステリーのアイディアならある。ただ、理系知識を使った小説なんて、そんなに読まれないとは思うけれど」とおっしゃったんです。「ノックスの十戒」というミステリーの古典的な掟がありますが、一般の読者に真偽が証明できないような科学的知識を使ったトリックは、敬遠されるだろうと予想されていたのでしょう。そもそも当時、理系出身で物理トリックを使った小説を書ける作家はほとんどいなかったと思います。

 東野さんは雑談の中で、数学や科学の理系知識を扱った話題をとても面白く話されるのです。たとえば「三次元までは大体の人が理解できるとして、四次元とはどういうものなのか」という説明が、東野さんの口から語られるとわかった気持ちにさせられるのです。そのあと他の人に同じように説明しようとしてもできないのですが。

 ともあれ、「科学の知識があまりない(花田さんのような)人にもなるべく面白くなるように書いてみます」とおっしゃって、ガリレオシリーズが誕生しました。

科学トリックミステリーでありつつも、「人間の営み」に胸をうたれる短編

 ガリレオこと物理学者の湯川学が登場する第一作となる「燃える」(「オール讀物」1996年11月号掲載)は、パソコン通信で送られてきました。当時原稿をいただく場合、短いものならファックスで、長いものは手書きの原稿かワープロで打ち出したプリントアウトを対面でいただくのがスタンダードでした。フロッピーでいただくことはまれにありましたが、データを通信で送ってもらうことなど、ほとんど誰もやっていなかった時代です。パソコンがフロアの片隅に一台だけありましたが、出版部で聞いてまわっても、編集者は誰もデータファイルの受け取り方を知りませんでした。

 東野さんと、電算室(名称がまたクラシック!)の方に教えてもらった手順に従いメモを見ながら奮闘し、なんとか無事に原稿を受け取ることができました。

ガリレオシリーズの第1話「燃える」が掲載された「オール讀物」1996年11月号

 ようやく頂いた原稿を拝読して、浮かび上がる人間の営みに胸をうたれたことを記憶しています。『火星年代記』の朗読を淡々とテープに吹き込む男、赤い糸のような光線に目を奪われる女の子……。トリックの目新しさと違って、人間ドラマの側面については全く古びることはないですし、後の作品でそちらの比重が大きくなっていった萌芽もあると思います。