「そろそろ返してくれ」
84年9月、谷津を含む維新軍の面々は、大塚が立ち上げたジャパンプロレスに合流。新日本を離れ、馬場率いる全日本に参戦することになった。それ以降、谷津は猪木とまったく接点がなくなったという。
「猪木さんとは、それからずっと会う機会がなかった。俺がPRIDEでゲーリー・グッドリッジと2回やった時(2000年10月31日と01年9月24日)、猪木さんはPRIDEのエグゼクティブ・プロデューサーだったけど、激励も話す機会も全然なかったね。
でも、猪木さんが亡くなる4年前くらいかな。俺がスネークピットジャパンの宮戸(優光)くんの道場でちゃんこを食ってたの。その時、宮戸くんあてに猪木さんから電話があった。それで『今、谷津さんが来てるんです』って、電話を代わってもらったんだよ。そしたら『おう、谷津、元気か』『また会おうな』って言ってくれてね。まあ社交辞令だけど、うれしかったよね。今もスネークピットジャパンには猪木さんの写真が飾ってあるから、行った時はいつも線香をあげてるよ。
まあ、猪木さんは実業家としては時代を先取りしすぎてたよ。ハイセルだって、今も事業を変えながら会社としては残ってるらしいからね。たいしたもんだよ。あ、社債って有効期限あるのかな? そのハイセルの後継会社に、そろそろ返してくれって言いたいけどね。俺の300万円」
