――ハンドメイドがお得意なんですね。
希良梨 ラピュタの飛行石がほしくて、似たようなものが売ってなかったから自分で作ったのがはじまりです。
祖母が洋服からステンドグラスまで、なんでも自分で作っちゃう人だったんですね。その影響で、基本的に何でも自分で作れると思ってたんです(笑)。
芸能界入りは「手に職」という祖母の希望だった
――沖縄育ちということですが、幼少期は沖縄に?
希良梨 東京で生まれて、父の故郷である沖縄で育ったんですが、小学生の時に東京に戻りました。それで、小学校4年生のときにおばあちゃんから芸能界をすすめられたんですね。
――芸能界入りのきっかけもおばあちゃんだったんですね。
希良梨 私が将来食いっぱぐれることのないよう、「手に職をつけてあげたい」ということだったのかなと思います。
突然、「女の社長と男の社長、どっちがいい?」と聞いてきて。それが芸能事務所の話だったんですけど、とりあえず女の人のほうが安心かなと思って、女性社長の小さな芸能事務所に入るんです。
――演技の勉強もそこからはじめられて?
希良梨 地上波デビューがフジテレビのスペシャルドラマ枠「金曜エンタテイメント」でやった『二人の母』という作品でした。産みの母が倍賞美津子さんで、育ての母が池上季実子さん、お父さん役が山下真司さんというベテランの方ばかりの中、演技も何も知らないで挑んだんです。当時の芸名は「神咲りさ」でした。
――地上波デビューがいきなりの大役だったと。
希良梨 今でもよく覚えているんですけど、そのドラマの撮影中に高熱を出してしまって、嘔吐するほどひどい症状だったんですけど、次の日の撮影にはきちんと出て仕事をしたんです。
――仕事だと切り替わって。
希良梨 今思えば、すでに「オン/オフ」の切り替えが自然とできていたんですね。
当時の芸能界はまだ子役の労働について規制もゆるかったこともありますし、大人も子どもも関係なく“親の死に目に会えない”職業といいますか、とにかく厳しかったんです。
だから自然と、「自分は商品なんだ」という意識で、「いつでも現場では完璧でいなくちゃ」と思ってやってましたね。

