――子ども時代の希良梨さんにとって、芸能界の居心地は良かったですか。
希良梨 「沖縄から来た母子家庭の子」という部分で受け入れられなかったのか、小学校であまり居場所がなかったこともあり、「芸能界があって助かった」というのが正直なところです。
それでも、仕事に疲れて「辞めたい」と思うことは何度もあったんですけど、その度にCMのお話をもらったり、庵野秀明さんの映画『ラブ&ポップ』や、『GTO』にもお声がけしてもらって、自分の大切な作品になりました。
20歳で子宮頸がんが発覚した時の「海外に逃げたい気持ち」の正体
――『GTO』や『ラブ&ポップ』といった出演作が相次ぐ中、20歳で子宮頸がんの病変がわかったということですが、予兆はありましたか。
希良梨 ボルタレンという坐薬を入れることもあるくらい、昔から生理痛がひどくて、それでたまたま婦人科にかかったら、病気が判明しました。
――ブレイク中ということもあり、キャリアの継続について悩まれた?
希良梨 そこが一番、葛藤する部分でしたね。今では芸能人の方が病気を公表することは珍しくないですが、当時はそういう雰囲気ではなかったこともあり、オープンにする選択肢はありませんでした。
あとは私自身、10歳からずっと走り続けていたことで疲れが溜まっていて、海外に逃げたい気持ちもあって、休業したんです。
――そこからずっと海外生活ですか?
希良梨 20年くらい、海外生活を送りました。サイパンやロス、ニューヨーク、オーストラリアなど様々な場所に行き、台湾で映像関係の仕事をしていた時に元夫に会って国際結婚。子どもも台湾で出産しました。
で、2年前まではメキシコシティで暮らしていました。
――言語の習得もされて。
希良梨 できるのは日本語、英語、中国語、スペイン語ですね。スペイン語はまだベビークラスですけど。
――4カ国語、すごいですね。
希良梨 自由に生きてたら自然とそうなっただけなんです(笑)。こうして喋ると「いろんな経験をしてきたんだな」と思うんですが、これまでずっと突っ走ってきたので、自分のことを振り返る時間がなかったんですよね。
日本で俳優をして、国際結婚・出産して、人生の半分を海外で過ごしてって、人があんまり経験しないことはたくさんしてるんですけど、普通の経験があんまりないっていうか。

