アルファベットの「Z」は、ロシアがウクライナに侵攻した折、愛国心のシンボルとして使われ始めたという。ウクライナで「Z」は、ロシアによる侵略の象徴として受け止められた。
小説は、新里恭子という71歳の女性がワルシャワの空港に降り立つところで始まる。息子の亮がウクライナで義勇兵として戦って死んだという寝耳に水の事実の真相を知りたくてやってきたのだ。杖をつき、肺気腫の薬を持って。
成人した息子と母親の関係の例に漏れず、恭子と亮もなにもかも語り合う仲ではなかった。だから、恭子には多くの悔いが残る。氷河期世代で社会にうまく居場所を得られなかった息子。それでも亮は「やさしい子」だった。誰かの役に立ちたいという思いが強かった。だからといって――。
ウクライナで、恭子はミラというアメリカ人女性に出会う。同世代。糖尿病でインスリン注入器を持ち歩く彼女も、義勇兵となった息子のスティーブをこの戦争で亡くしていた。ふたりは息子たちの足跡を尋ね歩く。けれど、戦時下のウクライナは、外国人が自在に行動できるような場所ではない。ドローンが飛び、ミサイルを予期して空襲警報が鳴り響く。数限りない「ニー」(ノーの意味)を突き付けられながらの旅だ。戦場と高齢女性という最も不似合いな組み合わせが、しかし、戦争の理不尽を象徴してもいる。
中盤、なんとこの高齢女性ふたりは国際運転免許証を偽造し、迷彩服の兵士が銃を構える検問所を全速力で突破する。
静かな悩める母親のイメージだった恭子の意外な行動に驚かされたが、一人称語りの端々に、若いころは自由だった彼女の本質もうかがえる。結婚前は世界をひとりで旅し、10代のころは新宿の路上でハイミナール遊びにふけったらしい。そんな彼女が変わったのは、抑圧的な夫との結婚生活ゆえだった。その家庭環境は少なからず息子にも影響しただろう。
息子を追う旅は、彼女が自分を取り戻す旅でもある。
けれど、作者自身が戦禍のウクライナを訪れて書いたという小説には、ひとつに留まらない、いくつものテーマが書きこまれる。息子たちを戦地に駆り立てた動機はなんだったのか。兵士たちを支える帰属意識とアイデンティティとはなにか。恭子が唐突に発見する自分の中の「怒り」は、なにをもたらすのか。
終盤、ふたりの母親は衝撃的な事実を知らされることになる。
正直、読む前に若干の躊躇が伴ったのは、現在進行形の戦争を物語として受け取る後ろめたさのようなものがあったからなのだが、おそらく誰よりそのことを考えたであろう作者の抑制的な筆致は、現実の戦争についても、戦争というものが引き起こす様々な痛みと軋轢についても、読者自身に考えることを促しているように感じられた。
みやうちゆうすけ/1979年、東京都生まれ。92年までニューヨーク在住。2010年に第1回創元SF短編賞選考委員特別賞受賞。12年、単行本デビュー。著書に『盤上の夜』『ヨハネスブルグの天使たち』『カブールの園』など。SFから純文学まで幅広く執筆。
なかじまきょうこ/1964年東京都生まれ。『小さいおうち』で直木賞受賞。近著はエッセイ集『今日もぼーっと行ってきます』。
