東野圭吾が恐れていたもの
忘れられない思い出がある。直木賞での落選が続いていた頃のことだ。銀座で一緒に飲んでいると、「別宮さん、僕がいま何を恐れているか分かりますか?」と尋ねてきたことがあった。すぐに答えられないでいると、「僕の作品を二度と直木賞の候補に入れてくれなくなることです。何度も候補にするのは失礼だとか、今さらいいだろうとか、そういう変な遠慮を理由に“卒業”はさせないでほしいんです。僕は何度落選しても一向に構いません。どれだけ落ちても、次にもっと面白いものを書くだけです」と続けたという。
「とても東野さんらしいなと思ったんです。普通、自分の作品を何度も落とされるのは耐えられるものじゃないですよ。まして、何がダメだったんだろうと考えるのは辛い作業です。でも、そこから決して逃げなかった。売れなかったり、批判されたりする理由を自分の側に見つけて改善し続けることを諦めなかった。それが東野さんでした」
努力の天才が最後に辿り着いた最高到達地点『永遠の記憶』
『X』以降の21年間で東野さんがものした作品数は実に50に上る。それは一歩一歩高みを目指して前進を続けた作家の軌跡そのものだ。『永遠の記憶』はそんな努力の天才が最後に辿り着いた最高到達地点といえる。
すでに本作を読んだ多くの人があるページで驚きの声を上げたのではないか。こんなにも美しいミステリーが、こんなにも完璧なシリーズの幕引きがあり得るのだろうか、と。それは『X』を契機に変化していった湯川だからこそ、また、どんなネガティブな意見や結果を前にしてもそこから逃げることのなかった東野さんだからこそ行き着いた境地なのかもしれない。
もし、天国の東野さんに『永遠の記憶』の感想を伝えられるとしたら何と言いたいですか? 最後に別宮さんに質問した。
「ネタバレにならないように言うのは難しいけれど……」と断った上で、こう言い置いた。「『X』からずっと、いつか書かなければいけないと思い続けてきた作品だったんですね」
巨星を失った悲しみが癒えることはない。しかしだからこそ今、漆黒のカバーに包まれた物語に身を浸し、共に感想を語り合う――それが、ガリレオシリーズを愛し、平成・令和における最大の物語作家であり続けた東野圭吾を愛したわれわれ同時代人にとっての、追悼の儀式になるのではないだろうか。
