東口を北に出ると、目の前には巨大なタワーマンション(シティタワー綾瀬、地上32階建て)が出迎える。その脇には駅前広場を兼ねたような広い公園があり、奥にはアパホテルのオレンジ色の看板が覗く。公園の隣は足立区立の綾瀬小学校だ。
駅前の公園、東綾瀬公園はさらに北に続いていて、辿ってゆくと区立の東綾瀬中学校や東京武道館。公園はまだまだ続き、綾瀬の町中を逆さU字を描くように帯状に広がっている。
公園が途中では千代田線北綾瀬支線の高架を潜り、また駅の近くに戻って来たところでは真新しいマンションが集まっている一角も。こちらはパークタウン東綾瀬といい、古くは公団団地だった。新しく見えるのは、最近になって建て替えられたからだろう。
東綾瀬公園周辺の町並は、駅前の繁華街の喧噪とはまるで違う。ところどころに小さな商店街のようなものはあっても、だいたいがマンションや一戸建て住宅ばかり。区画整理された碁盤目状の住宅地がどこまでも広がっている。これこそが、綾瀬という町の本質なのだろう。
なぜ、83年前「綾瀬駅」ができた?
そもそもこの綾瀬という駅は、ここに町があったからできたのではない。学校ができて、そこに通う学生たちのために生まれた駅なのだ。
その学校とは、1938年創立の東京府立第11中学校、現在の都立江北高校だ。開校時は青山の仮校舎で授業をしていたが、近い将来足立区に移転することが決まっていた。足立区の中でも交通の便の良さ、また周辺環境などを踏まえて白羽の矢が立ったのが、綾瀬駅近く、綾瀬川沿いだった。
ただ、1940年に移転はしたものの肝心の駅がなかなかできない。時は戦争の時代、学生や教職員以外の利用がほとんど見込めない新駅のために貴重な建築資材は使えない、ということだろう。それでも学校は熱心に駅の設置を求め続け、当時の教頭はなんと287回も鉄道省に足を運んだのだとか。






