動物のスケジュールが全部頭に入っている人
シェン 2、3年の間、私はまるで小学生のようでした。ここにはどんな動物が出るんだよとか、何時になったら動物が現れるよと教えてもらい、台湾の自然について徐さんの授業を受けている気分でした。徐さんはどの時間にどんな動物がどこに現れるかというスケジュールが全部頭に入っているんですね。
でも3年目になった頃、私はこういう進め方はあまり理想的じゃないと考えました。私と自然の間に徐さんが入って、徐さんを通して見ることになり、どうしても私と自然の間に距離を感じてしまう。それで徐さんに手紙を書いて、しばらくの間、離れたいと申し出ました。
それから私は自分一人でカメラを持って、自然の中に入っていき、いろんなところに行って自分で撮影をしました。その経験が次第に徐さんにも認められ、互いにどこに行って何を見たか、何を撮ったかをシェアし合えるような関係になっていったんですね。
リム なるほど、映画には徐仁修さんが撮った写真や、彼が撮影に行くプロセスのほかに、自然の映像が結構入っていてシェン監督の自然に対する考えが反映されていると思いましたが、今の話を聞いてよくわかりました。
自然をコントロールするのは難しい
観客から、映像や写真に文章や詩が添えられていることについて質問が出た。
シェン 徐さんには自然についてのいろいろな考えがあるんですが、それをインタビューで引き出せる範囲は限られていると思ったんです。だから彼の過去の小説や詩を、彼自身に読んでもらい、映像と合わせていきました。
私が思うに、徐さんの自然観は、人は自然をコントロールする対象として考えるけれど、でもやっぱりすべてをコントロールするのは難しいし、無理がある。結局はまた、元に帰っていく、というようなことです。
例えばここに石があるとすると、その石を人間が利用して建物を作り、大きなビルになったりする。そこに芸術性を持たせたり宗教性を持たせたりもする。けれども最後にはその石も自然に帰っていく。こうした徐さんの自然に対する考えを、映像言語で説明したいなと思っていました。
