毛沢東の「親密な戦友」としてナンバー2に上り詰め、党規約に後継者と明記されながらも突如失脚した林彪。1971年、彼と家族を乗せた軍用機はなぜモンゴルの荒野へ墜落したのか。事故か、それとも撃墜か――。鉄人社の新刊『世界の要人暗殺ミステリー』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目)
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1971年9月13日未明、中国共産党中央委員会の副主席で毛沢東主席(当時77歳)の後継者とされた林彪(同64歳)が搭乗した飛行機が、モンゴル国内に墜落した。機内には林彪の妻・葉群(同54歳)、長男・林立果(同26歳)ら計9人が乗っており、全員が死亡。
公式には林彪が毛沢東暗殺を企てたクーデター計画に失敗し、ソ連への亡命を図った末の事故死とされたが、事件の経緯、飛行機が意図的に墜落させられた可能性、調査過程での隠蔽工作の有無を巡る疑問は、半世紀以上経った今もくすぶり続けている。
貧しい農家から軍隊に
林彪は1907年、湖北省黄州府黄岡県の貧しい農家に生まれた。1925年に軍官を育てる黄埔軍官学校に入学すると同時に中国共産党に入党。卒業後、国民革命軍で小隊長・中隊長を務め、1927年8月の南昌蜂起(中国共産党が江西省南昌で蒋介石(1887─1975。後の台湾=中華民国総統)率いる国民党に対して起こした武装蜂起)に参加して毛沢東に合流。
1937年に勃発した日中戦争で八路軍(中国共産党軍の通称)の指揮官として活躍し、国共内戦(日中戦争終結に伴う国民党との内戦)では東北野戦軍を率いて大きな戦果を挙げた。
