1898年の時点ですでに名古屋~加茂間を完成させ、浪速鉄道(現在のJR学研都市線)を買収して大阪乗り入れも果たしていた。そして名古屋や伊勢の人々を大仏詣でに誘うべく、加茂から奈良への乗り入れを企てたのである。
ところが、すでに大阪からは大阪鉄道、京都からは奈良鉄道が奈良に乗り入れ、2社共同のターミナル・奈良駅が設けられていた。関西鉄道も奈良駅への乗り入れを画策したものの調整が付かず、やむなく暫定的なターミナルとして1898年に開業したのが大仏駅だ(奈良駅乗り入れは1年後に実現している)。
現在でも加茂~奈良間には木津駅経由で関西本線(大和路線)が走っているが、大仏駅を経由した当時のルートとは異なる。現在の木津経由のルート完成と引き換えに大仏経由、すなわち“大仏鉄道”はわずか9年で姿を消すことになる。
では、大仏鉄道の廃線跡はいったいどうなっているのか。加茂駅まで足を伸ばし、その痕跡をたどってみることにしよう。
草まみれの道に、120年前のレンガの橋が…
大仏鉄道はじまりの駅・加茂駅は、木津川に沿って山中を抜けてきた関西本線が奈良盆地に顔を出してすぐの場所にある。ここから、約20km離れた大仏駅を目指すのだ。
といっても、しばらくは現在の大和路線と並行しており、分岐するのは2kmほど先だ。加茂駅の周辺はのどかな里山で、線路に並行する道があるはずもなく、いきなり遠回りを余儀なくされる。
20分ほど歩いて高田という小さな集落を抜け、小高い丘や林に囲まれた道なき道をゆく。すると、少し先に盛土になっている廃線跡(と現在の大和路線)が見えてきた。そしてここに、いかにもそれっぽいレンガ造りの橋台がある。人ひとりが潜るので精一杯という、小さな橋台。この橋台の上を、かつて大仏鉄道が走っていたのだ。



