ニュータウンの端っこにあるのは、大仏鉄道公園という名前を残した公園だ。もちろん公園はあとから造成されたもので、大仏鉄道と直接の関わりはない。
ただ、ここでも少し離れれば大仏鉄道の橋梁跡が残っている。ニュータウン造成時、はじめは廃線跡も潰してしまう計画だったという。が、地元の人たちの働きかけもあって、いまも大仏鉄道の痕跡がしっかりと残された。大仏鉄道公園は、そうした歴史を記念して名付けられたのだろう。
城山台のニュータウンから先、廃線跡は舗装された道路に変わって急な坂を下って井関川を渡り、再びまた次のニュータウンの中に入ってゆく。ニュータウンの真ん中を貫く府道・県道44号線。交通量の多いこの大通りから廃線跡をイメージするのは難しい。が、こんなところにも大通りの下に回れば小さなレンガ造りの橋台が残っていたりして、確かに大仏鉄道の跡であることを教えてくれる。
大仏鉄道、“ただ一つのトンネル”はどうなった?
そんな中を南に向かい、ほどなく府県境を跨いで奈良県内へ。元明天皇・元正天皇という飛鳥時代から奈良時代にかけての女性天皇の陵墓を横目にさらに進む。すると、両脇に高い崖が迫る切り通しのような場所に出た。かつて大仏鉄道唯一のトンネル・黒髪山隧道の跡である。
府県境に近いこの場所は、ただでさえ勾配の多い大仏鉄道にあっても最大の難所だった。時に列車が坂を上れなくなり、お客が降りて後ろから押した、などというエピソードも残っている。それほどの難所だけに、少しでも勾配を小さくしようとトンネルを掘ったのだろう。廃線後も黒髪山隧道は長らくそのまま残されていたが、1960年代の道路拡幅で取り壊されてしまった。
トンネル跡を抜ければ、陸上競技場や野球場の間を通り、鴻ノ池の脇で県道とはさようなら。奈良市郊外の住宅地の中を南下して、大仏駅へと向かってゆく。住宅地の中では廃線跡の転用らしき道路もあるが、本当にそうであると示すものは何も残っていない。
120年前に消えた大仏駅、今は何がある?
そしてようやくたどり着いた大仏駅の跡。一条通りの南、佐保川を渡る手前の住宅地の中ににある小さな公園がその場所だ。「大佛鐵道記念公園」。SLの動輪を使ったモニュメントも置かれていて、120年前に消えた幻の鉄道の記憶をいまに伝えている。
大仏様に最も近かった大仏駅。開業当初は年間乗降人員が7万人に達するほどの盛況ぶりだったという。








