東京都羽村市——。人口約5万3000人、面積は9.9㎢にも満たない小さな町だ。この町の西端を流れる多摩川沿い。ちょっとした公園のように整備されたその場所に、玉川兄弟の像がある。
東京で小学生時代を過ごした人ならば、玉川兄弟のことはみな知っているに違いない。……と言いつつも記憶は定かではないけれど、玉川上水を整備した偉人として教科書で教わったような覚えがうっすらとある。
実際その通りで、江戸時代初期に多摩川から江戸市中に玉川上水を引いたのは玉川兄弟の功績だ。玉川兄弟のおかげで、人口が増え続けていた中でも江戸の人々は喉を潤すことができたのである。
開削から400年近く経ったいまでも、玉川上水は一部区間が東京の水源になっている。その取水場所が、羽村駅から10分ほど歩いて急な坂を下った場所にある羽村取水堰だ。玉川兄弟の像も、そのすぐ脇に置かれている。
もうひとつ、この場所からは村山貯水池(多摩湖)や山口貯水池(狭山湖)という、文字通りの“東京の水がめ”に繋がる導水路も分かれている。これもまた、玉川上水と同じように東京の人々の喉を潤しているのだ。いわば、“もうひとつの玉川上水”といったところだろうか。
消えた「羽村山口軽便鉄道」とは?
そして、羽村取水堰付近から狭山湖までの区間に、巨大な水がめを造るための鉄道が繋がっていたことがある。戦前から戦中にかけて、ほんの短い期間だけ存在していた名もなき鉄道。人呼んで、「羽村山口軽便鉄道」という。その廃線跡を訪ねてみよう。

