狭山丘陵を越えてゆく新設区間では、6つのトンネルで狭山湖畔を目指す。その最初のトンネルが、車庫の跡のすぐ先の横田トンネルである。

狭山湖を目指す最初のトンネル「横田トンネル」

 幅も狭く天井も低いけれど、しっかりと頑丈さが伝わるトンネルの中。外は灼熱の暑さだというのに、トンネルの中はひんやりと涼しい。水が滴っているのは、地下に導水路が通っているからなのか。真夏の盛り、涼を求めて散策するにはぴったりかもしれない。

 そして、トンネルをひとつ抜けるごとにあたりの風景が変わってゆく。それまでの郊外の住宅地から、のどかな里山風景へと移ってゆくのだ。少しずつ、でも確実に狭山丘陵に分け入っているのが実感できる。

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ひんやりとしたトンネル内

 狭山丘陵の森は、『となりのトトロ』の舞台にもなった“トトロの森”なのだとか。トンネルを抜けた先にトトロが待っていたりして……なんて、おとぎ話みたいな妄想をする歳でもない。むしろ熊と出くわすんじゃないか。そっちのほうがよっぽど怖い。

 熊の出没に怯えながら4つのトンネルを抜けると、舗装された通りはそこで途切れる。周囲はすっかり茂みの中だ。廃線跡はその先も続いてゆくのだが、あいにく立入禁止のトラロープ。まあ、仮にそれがなくても踏み入るにはだいぶ勇気が必要な山の中だ。

赤堀トンネル

 仕方がないので、ここでもぐるりと迂回して埼玉県は所沢市、湖畔にベルーナドームがある狭山湖の堰堤へと向かった。このあたりでトロッコから砂利を降ろし、工事を進めたのだろう。狭山湖は1934年に完成。軽便鉄道では機関車28両が活躍し、実に23万5360m³もの砂利を運んだという。

 こうして村山・山口というふたつの貯水池、すなわち東京の水がめが完成したのである。

82年前に廃線になった

 ただ、工事が終わってもしばらく軽便鉄道はそのまま残されていたという。何か狙いがあったのかはわからない。ただ、それが功を奏する時がすぐにやってくる。戦時中、貯水池が空襲を受けることに備え、かさ上げと耐弾層の設置が行われた。このとき、軽便鉄道は再び資材輸送を担ったのである。

 その後はさすがに金属不足の折、容赦なくレールは剥がされて供出され、少しずつ軽便鉄道の痕跡が消えていった(廃線は1944年とされる)。それでも、地下に眠る導水路はいまに至るまで現役バリバリだ。水道用地の上にはみだりに建造物は建てられない。そのため、ほとんど完全な形でいまも廃線跡を辿ることができるのだ。

 そして、この廃線跡、羽村山口軽便鉄道があったからこそいまも東京の人々は水を飲むことができる。10年ほど、ごく短期間だけ砂利を載せて走った軽便鉄道のおかげで、東京の水道は支えられているのだ。

現在も東京に水を供給する狭山湖

 軽便鉄道の跡は大半が武蔵村山市内を通る。“鉄道のない町”武蔵村山。が、この町を通った名もなき鉄道がなければ、東京の発展はあったのかどうか。

 少なくとも、都民各位は玉川兄弟と武蔵村山に足を向けて寝てはならないのである。

撮影=鼠入昌史

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