羽村山口軽便鉄道はレール幅610mmという、ごく小さな鉄道だった。日本で一般的な鉄道のレール幅は1067mmだから、それと比べるとかなりの小規模といっていい。実際には地元の人を便乗させることもあったらしいが、原則は砂利などの貨物のみの鉄道。それも貯水池完成までの期間限定だ。だから、一般的な鉄道ほど立派なものは必要なかったのだろう。

 全線単線だった軽便鉄道は、ところどころに行き違いの交換設備があった。また、残堀川の脇には砂利を砕いて大きさごとに選別する砕石場も置かれていた。ちょうどその場所には、木々の茂る空き地がある。

野山北公園自転車道という自転車が通れる遊歩道になっていた

 採石場の跡に違いない、何か痕跡は……と思って中に入ろうとしたけれど、「倒木の恐れがあるために立入禁止」の掲示。長年、放っておかれていた空き地なのだろう。

ADVERTISEMENT

 遊歩道には休憩スペースやトイレなどがいくつかあるほかは、両脇に木が植えられていて、緑のトンネルを成している。その中を歩いていると、これが東京都内だとはとても思えない。ただ、一歩外に出ればそこはすっかり住宅地。軽便鉄道は大半の区間を“鉄道のない町”、現在の武蔵村山市内を走っていた。鉄道があってもなくても、この一帯から雑木林や桑畑が広がる“武蔵野”の面影は消えている。

“鉄道空白地帯”武蔵村山市を走る廃線跡

 そんな町中を一直線に東に走る廃線跡。途中新青梅街道とも交差しているが、もちろん軽便鉄道が現役だった時代には新青梅街道は存在しない。一方、旧道にあたる青梅街道は当時から通っていて、踏切が設けられていたという。

 青梅街道を渡ったあたりから、少しずつ進路を北東に変えてゆく。多摩湖建設時の導水路工事では、この青梅街道との交差地点付近までしか軌道は敷かれていない。ここから先が、狭山湖建設にあたって新設された区間だ。といっても、新設もなにも80年以上も前のこと。そこはただ遊歩道が続くだけだ。

「クマが怖い…」廃線トンネル

 遊歩道沿いには小さな児童公園がある。そこには車両基地が設けられていて、運行の拠点になっていたという。そしてその先の都道を渡れば、口を開けて待っているのがトンネルだ。