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ところが、実のところこの駅の強みは一条通りを東に行けば大仏様、ということくらい。いまでは住宅地の真ん中でも、当時は完全な町外れに過ぎなかった。だから大仏鉄道が奈良駅に延伸してからは、みるみる存在感を失ってゆく。
廃止前年の1906年のお客は年間8000人を下回る。1日のお客は20人程度という計算だ。古都・奈良の一角に佇む秘境駅、といったところだろうか。
そんな状態で、木津経由の現在の大和路線ルートが確立すれば、大仏鉄道と大仏駅が用済みになるのも当然のなりゆき。木津経由はいくらか遠回りではあったが平坦で走りやすく、勾配だらけで輸送効率の悪い大仏鉄道が生き残る道は残っていなかった。かくて大仏駅は開業からわずか9年後の1907年に役目を終えたのである。
いま、大仏駅の跡の公園に立つと、周囲を行き交うのは地元の人たちばかりだ。観光都市・奈良なのに、観光客の姿はほとんど見当たらない。道行く人に尋ねてみれば、「たまにあなたみたいな廃線跡巡りの人が来るくらいやで」。
しかし、大仏鉄道と大仏駅は、明治時代の私鉄の雄・関西鉄道が奈良乗り入れを求めてもがいた夢の跡。その魂は、現在の奈良駅にも受け継がれているに違いない。
(写真=鼠入昌史)



