このあたりまでは大和路線も並行しているので、すぐ脇には大阪市内でもお馴染みの電車がゴトゴトと音を鳴らして駆けてゆく。電車に乗っている人は、まさかすぐ隣に“大仏行き”の列車が走った廃線跡があるとは思いもよらないに違いない。

 ここから先は、廃線跡が大和路線から離れていってひとり旅。廃線跡を辿る旅も、まるで道なき道、未舗装の道を進んでゆくことになる。

 訪れたのは夏の終わり。まだまだ木々が生い茂り、ところによっては藪漕ぎのようなことをしなければ通れない。大きな虫に襲われて、ひぃと声を上げたところであたりに人の気配はない。本当に廃線跡があるのかどうか、不安になってしまう。

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 ところが、そんな道のところどころに大仏鉄道跡のレンガ造りの橋台が現れるのだ。まるでお宝を発見したようで嬉しくなる。そしてそのひとつひとつに、ちゃんと大仏鉄道の説明書きがあるのが実にありがたい。大仏鉄道の廃線跡は、ちょっとした観光スポットなのである。

観音寺橋台。奥に現役の大和路線の鉄橋がある
鹿背山橋台。短い石積みの鉄橋で、この上を大仏線が走っていた。農家が行き来するための通路のようなもの

なぜレンガ橋がたくさんあるのか?

 ここまでのおおよそ4kmほどでもわかるように、加茂駅から奈良市内までの道のりは山あり谷ありでなかなかにハードだ。急勾配の連続で、徒歩やクルマ、また現在の電車なら容易くとも、SLが牽引した当時の鉄道にとっては難所続きといっていい。

 勾配を少しでも軽減するためには、土を盛り上げた築堤の上に線路を敷くことが多くなる。ところが、そうなるともともとその地域に暮らしていた人たちが困ってしまう。農地や山林はひと続きで、そこにあとから線路が勝手に横切って築堤ができたのだ。

橋台部分とその脇とで石の積み方が異なっている。鹿背山橋台
梶ヶ谷隧道。隧道は人道で、この上を大仏線が通っていた
梶ヶ谷隧道。上が廃線跡
赤橋。こちらは煉瓦造りの橋台に
赤橋の上、廃線跡。ここを列車が走っていた

 そこで地元の人たちが行き来できるよう、ところどころで築堤をぶった切ってレンガ造りの小さな橋を設けた。それがいまでも茂みの中にひっそりと残っている橋台というわけだ。

京都のニュータウンのど真ん中に廃線跡が…

 さて、藪の茂った廃線跡をようやく抜け出すと、突然目の前に城山台のニュータウンが姿を見せる。