昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

大迫傑がマラソン日本新を出せた「3つの深い理由」

EKIDEN Newsの細かすぎる陸上ガイド

2018/10/18

強烈なスピードランナーが揃う「佐久長聖高校」へ

 中学卒業後は、長野県にある佐久長聖高校へと進学。箱根駅伝を走る選手の出身校として「佐久長聖高校」の名前はケニア選手の「ガル高校」と同じくらい頻繁にでてきますから、みなさん名前くらいはご存知でしょう。大迫が入学したときは、ひとつ上の先輩に村澤明伸(東海→日清食品)、千葉健太(駒澤→富士通)、平賀翔太(早稲田→富士通)、佐々木寛文(早稲田→日清食品)など強烈なスピードランナーが奇跡的に揃っていて、佐久長聖高校で朝練習から当時最強とまでいわれた村澤に挑んでいったといいます。2008年の都大路では2年生ながらアンカーとしてメンバー入り。日本人選手だけで打ち立てた前人未到といわれる高校最高記録をマークします。

 次に大迫選手が選んだのが、早稲田大学です。彼が目指したのはロンドンオリンピック出場。入学当初の大迫選手はインタビューでも駅伝にはあまり興味をしめさない発言も多く、ファンをヤキモキさせていたのも懐かしい。卒業生の竹澤健介さんが早稲田大学在学中に5000、10000mとトラック種目で北京オリンピック日本代表に選ばれたことや、先輩にも八木勇樹(YAGI RUNNING TEAM)や三田裕介、中山卓也というすごい世代そろっており、この環境で競いあうことで自分を高めていきますが、そこで大迫に待ったがかかります。佐藤悠基(東海大学→日清食品)という存在です。

トラックを叩いて「クソッ」と叫んだあの日

 2012年、オリンピック日本代表選考を兼ねた日本選手権10000m。未だ語り草となっている好レースなので、Yotubeなどで探してみてください。大学生ながら、ラスト1周で2位まであがった大迫は佐藤悠基のラストスパートにはあと一歩及ばず2位に終わります。このとき、大迫がトラックを叩いて「クソッ」と叫んだのは、この日、長居スタジアムにいたほぼ全員に届くほど強烈でした。大迫があんなに感情をあらわにしたのは、あとにも先にもあれだけだと思います。いつもクールな印象がある大迫ですが、その奥底には強烈なまでの「負けずぎらい」が流れています。

2012年の日本選手権で佐藤悠基に敗れた大迫 ©EKIDEN News

世界のトップランナーが集う場所へ

 そして現在所属しているのがナイキ・オレゴン・プロジェクトです。このプロジェクトは非アフリカンがケニア人やアフリカ勢に勝つことを目的にスタートしていて、ナイキが認めた世界のトップランナーだけが、ここに入ることができます。日本選手権では「速いけどラストで勝てない」ことが続いた大迫はここで、最初は練習生としてモー・ファラーやゲーレン・ラップといった選手たちといった、さらに強い選手たちと競い合うことで、「ラストで負けないトップスピード」と「世界のゆさぶりに負けないスピード持久力」を高めていきます。これまでオーダーで作られた履き慣れたミズノのスパイクからナイキのシューズに履き替えたのもこのころ。ナイキのスパイクは既成品と同じものであるため、日本選手権で走る大迫選手のスパイクからはいつも血がにじんでいました。それでも日本のトップを走りつづける姿に「走るのはシューズじゃない、ぼくだ!」という強烈なメッセージみたいなものも感じます。

リオ五輪出場を勝ち取った日本選手権。スパイクには血がにじむ ©EKIDEN News