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「人間は『意味の壁』をつくってしまって、見たいようにしか見ない」美術家・杉本博司インタビュー

アートな土曜日

2018/10/20

古美術と自作を並べ、歴史を血肉化する

 MOA美術館のふたつの展覧会を通覧すれば、まずは《唐物肩衝茶入 銘 初花》など、他でめったにお目にかかれない信長時代の「名物」の数々がたっぷり観られる。そのあとに杉本作品の世にも美しいプリントが続く。

重文 唐物肩衝茶入 銘 初花(大名物)中国 南宋~元時代 13~14世紀 公益財団法人德川記念財団蔵

 まさに眼福でうれしいかぎりだが、ふと思う。天下の名物と自作を同時に人に観てもらうというのは、いわば「歴史」と真っ向勝負をするようなもの。

 平然とそんなことをしてしまう胆力に驚くと同時に、歴史的名品と並ぶことに畏怖の念は湧かないものなのか。または、自分の作品がどう見えてしまうのか、負けてしまうのではないかといった怖さはない?

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「いえ、特にそういうことを思ったりはしません。むしろいっしょに並ぶことで、自分の作品が古美術から得る恩恵も多いのでありがたい。古い名品の持つパワーを自作に取り込み、それをまた還元していくという循環運動を起こしたい。そうしてこそ、歴史が血肉化していくのだと考えています。

千利休とデュシャンに共通する「見立て」のおもしろさ

 時代を超えた取り合わせの妙も実現させてみたくなりますしね。アートには、いや生活にはと言ってもいいでしょうが、やっぱり遊び心がないといけません。立派な美術館などはアカデミズムの牙城として価値を固定化させていかねばならないので、生真面目に時代順の展示などをする。それはそれでいいのでしょうが、本来アートとは、時代によって見直され続けていかなければならないものだと思っています。

 つねに何がおもしろいか、新しいおもしろさはないかと見直していく。千利休が大成させたお茶の世界における『見立て』という言葉は、そういう姿勢を指すのです。

 現代アートを創始したとされるマルセル・デュシャンも、『レディ・メイド』と言って日用のものをアートに組み入れました。これは要するに見立てのおもしろさです。これまでになかった新しい価値をつけるわけですから。

 千利休とデュシャンは、生きた時代と場所こそ違えど、メンタリティや精神性はみごと一致していますね」

 利休からデュシャンという表現の流れの延長線上に、杉本博司もまたいるということだろうか?

「少なくとも彼らのひねくれた精神は受け継いでいます(笑)。アーティストなんてヘンな人じゃないとなれませんから、これはまあしかたないことでしょう」