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イタリアで、時を超えて、少年使節と出会ってしまった

 杉本博司の作品に、《劇場》と題されたシリーズがある。

 映画を写真に撮ることを試みたものだ。劇場にカメラを据え、映画の上映開始とともにシャッターを開き、終わると同時に閉じる。露光時間は上映時間とぴったり同じ。スクリーン上の映像が放つ光を、カメラは作品一本分丸々吸い上げる。結果、スクリーン部分にはなんら像が残らず、白銀一色になってしまう。

杉本博司氏 ©黑田菜月

 2015年のこと。杉本博司はこの劇場シリーズを撮影するためヨーロッパ各地を訪れていた。イタリア・ヴェネト地方のヴィチェンツァには16世紀の建築で、ヨーロッパのオペラ劇場の最古の姿を今に留めるテアトロ・オリンピコがある。内部が無数のギリシャ風彫像で飾られ、ロビーの天井周りにはフレスコ画が施されるという破格の壮麗さ。

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 撮影に赴くと劇場支配人に、ある壁面に注目するよう促された。そこには、日本からの使節が立ち寄り歓待された場面が描かれていた。天正遣欧少年使節である。

「期せずして私は、イタリアで彼らと出会ってしまったわけです。こうなると俄然興味が湧いてきて、天正遣欧少年使節のイタリアでの足どりを調べてみた。すると、さらに驚くこととなりました。

 彼らはリボルノ、ピサ、フローレンス、シエナを経てローマ、その後アッシジからベニスへ向かっています。私はこれまでにローマのパンテオンも、ピサの斜塔も、シエナの大聖堂も撮影したことがあります。かの少年たちが見たであろうものの多くを、偶然にも私はこの目で見てきたのです。

 そのことに気づいたとき、私には彼らの声が聞こえた気がしました。

『私たちが見たこのヨーロッパの風景を、今一度あなたにも見てもらいたい』と」

イタリアはどこでも食事がうまいとの定評は嘘

 はじまりは、偶然に導かれての少年たちとの出会い。そのあとは、意図的に彼らの足跡を追う撮影行を繰り返すこととなった。ローマのパンテオン、ラツィオ州の城館ヴィラ・ファルネーゼの螺旋階段室、フィレンツェの大聖堂。同じくフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂にあり、初期ルネッサンスの名品として知られる「天国の門」。

杉本博司「螺旋階段 II、ヴィラ・ファルネーゼ」2016年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi

「彼らの足跡を追いかけるのはなかなかたいへんで、意図的にたどりはじめて3、4年はかかりました。彼らがいかにすごい旅をしていたかよくわかりました。こんなことでもなければまず行かない土地へまで足を運びました。観光客のいないイタリアというのはおもしろいものでしたが、イタリアはどこでも食事がうまいとの定評は嘘だとわかりましたね。正直ひどいところもたくさんありましたから(笑)」

 天正遣欧少年使節は、ヨーロッパを実地に見た最初の日本人となった。異文明の中に身を置くことになった彼らの驚きと興奮を追体験したいとの一心で、プロジェクトを進めた。

「私にとっても、いかに自分が日本人であるかを思い知るような旅になっていきましたね。私自身は22歳で米国へ渡り、長らくそのまま暮らすことになったので、自分を少年使節と重ね合わせるところもありました」

 改めて日本を見出していくというのは、日本固有のモチーフを多く撮影し、古美術の蒐集に耽溺し、神仏習合思想の本地垂迹を深く探求する杉本博司さんにとって、ずっと取り組んできたことでもあるのでは?

「そうですね、目的意識を持って学問としてまとめようというわけではありませんが、数寄者としてずっとやってきたことです。私は学問的な理論だけでは満足できない現物主義者なんです。モノそのものがあれば、そこにはつくった人や描いた人がいることを感じ取れる。モノはずっと見ていると、魂のようなものがじわりと伝わってくるものです」