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2018/10/25

そうか、これは資本主義を体現したリゾートの伝えたいことなのだ

 夢の国でも、人生とはままならないものなのだ。カネがあっても、コネを持っていても、人は必ずしも希望をすべては叶えられることはなく、いまある現状を受け入れ、流れ出る涙もいずれは頬で乾くと諦め、それでも家族で一緒に煌びやかな街並みを歩けるというささやかな幸せを噛み締めて、与えられたわずかなポップコーンを分かち合い、割高な食事、いずれすぐにゴミとなるであろうグッズを手に、それでも少しは楽しめたのだと感情ではなく根性で笑顔を作ることを求められているのです。

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 そうか、これは資本主義を体現したディズニーリゾートの、本当に伝えたい人生の在り方なのだ。いまあるささやかな幸福を実感し、喜ぶための修練の場としての夢の国。何を楽しんだのかではなく、家族とただそこにあり、練り歩くことのできる小さな充足感を満たすための施設。確かにカール・マルクスも『資本論』の中で資本主義は寡占と格差社会を生むと喝破し、資本主義が行き届いた先に労働者が解放され共産主義の時代が来るのだ、と。壮大な社会実験はソビエト連邦という自由主義陣営と拮抗する大共産圏を築き上げた後で歴史の荒波の中へ消えて行きましたが、実はその共産主義は形を変えて資本主義の権化のようなディズニーが構築したこの理想の国の中に、富める者も貧しい者も、ひとたびパスポートを買って入園すればポップコーンの前に並び、サーカスの前に並び、パレードの前に並ぶという驚くほど格差がない平等でプロレタリアートも解放される夢の世界を実現したのです。年金生活者も未就学児も勤労者も資本家もひとたびディズニーの門を潜れば誰でも簡単に、手軽にあのソ連を体験できる。これだ。私たちが求めた本当のリベラルの姿はこれだったのだ。やったぞ辻元清美さん、私は同志とともについに秘境に辿り着いたんですよ。理想とする政治、理想とする国民。計画経済の極意が、ここにある。共産主義が追い求めた真の解放の姿が、このディズニーランドの中にあったのです。

その日の山本一郎氏 (本人提供)

夢の前に、人は等価なのです

 見上げると、ディズニーリゾート35周年とか書かれている。そうか、第7次5カ年計画か。革命はまだまだ継続中なのだなと思っていたら、翌日ディズニーランドは入園制限をしていたんです。おい、今度は夢の国の中にすら入れないのかよ。どういうことだ。カネもチケットも持ってるぞ。ここは地獄の門か何かですか。夢のような地獄の世界。我を過ぎんとする者は一切の望みを捨てよ。ボーンボーンボーンボーン。ヤバイ。平等すぎてヤバイ。遅れてきた奴は入れてやらない。異議申し立ての余地もないぐらいの平等。ディズニーランドの中が地獄なのはよく承知していたはずが、ディズニーランドに入るまでも地獄であったとは。この体勢のまま、午後まで待つのかね。それなりの秋の日差しの中、血色悪く死んだ顔で粛々と行列している家族連れの姿。しかし、どこかに笑顔はあり、夢と希望に満ちている。共産だ。共産主義なのだ、これは。夢の前に、人は等価なのです。

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 夢の国に、閉園時間まで。朝から歩いた歩数は4万5000歩。労働から解放され、飲むビールの苦さ。疲れて寝ている子どもたちの顔を見る喜び。世の中はかくも儚く、美しいものであったのか。人混みでもみくちゃになるのも、割高なマズい飯を豚のように胃に流し込むのも、この世に生き、希望と夢がたとえ叶えられなくても虚構をみんなで信じられるからこそ成り立っている、素晴らしき世界なのだ。戦いのない、平等な社会は、修羅の世ですらここまで人を笑顔にできるのでしょうか。

 ありがとう、ありがとうディズニーリゾート。

 いつか、子どもがまた「行きたい」という日が来たら、また体験しに行きたいです。

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