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21年前、日本中が目をつぶった……

 もう21年前になる。

 1997年11月16日、マレーシア・ジョホールバルで開催されたフランスW杯、アジア第3代表決定戦。日本とイランは2-2で90分間の戦いを終え、延長に入るとそこからスコアは動かなかった。

 A組2位のイランはタレント揃いの強豪。アリ・ダエイ、ホダダド・アジジ、メフディ・マハダビキアとドイツでプレーする彼らがチームの中心を担っていた。

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ジョホールバルでのイラン戦の試合前。三浦知良、中山雅史、北沢豪らと君が代を歌う ©時事通信社

 日本中の誰もがきっと「アッ!」と声を挙げたであろうピンチの場面、それは延長後半12分だった。

 右サイドをマハダビキアが駆け上がる。相手を抜き切らず、最終ラインと川口の間に速いクロスを入れてくる。ここで逆サイドにいたダエイが走り込んできたのだ。

 万事休す、と日本中の誰もがきっと目をつぶったであろう、心臓が止まってしまいそうな場面。

 川口は飛び込まず、前に出てストップした。シュート体勢に入ったダエイのシュートコースを消し、シュートに合わせて横っ跳びしている。

 シュートは真上に大きく外れた。クロスにギリギリで間に合って、シュートのコントロールがうまくいかなかったと言えるのかもしれない。しかし、ダエイに圧力を掛けていたのもまた事実。絶体絶命の場面でおそろしいほど冷静に対処していた。

22歳だった川口の余裕

イランの反撃をかわし、W杯行きを祝福する川口 ©文藝春秋

「わたしの記憶に焼きついているシーン」はその直後だ。

 ダエイが呆然と座り込んでいると、川口が右手でポンポンとダエイの頭を撫でたのである。いいプレーだったぞ、と言わんばかりに。余裕しゃくしゃくで、それがとにかくカッコ良かった。とにかくシビれた。

 ダエイはこのとき28歳、バリバリのエース。川口はこのとき22歳、A代表にはこの年の2月にA代表デビューを飾ったばかりだ。

 ちなみに筆者は当時25歳、スポーツ新聞社に入社して3年目で整理部記者(紙面のレイアウトや見出しをつける)として、この試合の紙面を先輩とつくっていた。会社でド緊張しながら見ていた記憶がある。想像したのだ。会社の新人が5年目ぐらいの先輩の頭を撫でるって、あり得ないよなって。この人、すげえなって。

 そしてその直後なのである。フランス行きを決めた岡野雅行のゴールが決まったのは。

延長後半13分、岡野雅行のゴールデンゴールでフランス行きを決める