フリードキンが本当に届けたかった“報酬”
もちろん、当時はそれが前年の全米公開の記録的な失敗を受け、監督の意向を無視しておよそ30分をカットされた“短縮版”だったことは知るよしもなかった。
南米の小国・ポルヴェニールから300キロ離れた油田で火災が起きる。ニトログリセリンの爆発力で鎮火するしかない。少しの衝撃でも大爆発を起こすニトロを運搬する危険に対する“報酬”を目的に、それぞれに事情を抱えた4人の男が2台のトラックに分乗し、出発する。
この魅力的な設定の物語を、『フレンチ・コネクション』や『エクソシスト』の巨匠フリードキンがリメイクしたのだ。リアルで、ドキュメント的ともいえるタッチで描かれる“恐怖”の運搬劇はサスペンスフルで、観客にエンタテインメントの“報酬”をもたらしてくれた。
しかしその後、オリジナルのクルーゾー版を鑑賞し、今回の完全版を体験した今だからこそ、わかったことがある。
短縮版が当時の観客に届けたのは、“ニトロの恐怖”だけだった。フリードキンが本当に届けたかった“報酬”は置き去りにされていたのだ。フリードキンが執念を注いで、オリジナル完全版として蘇らせた40年後の本作で、ようやく届いたのだ。それはニトロを運ぶ男たちの人生と生命そのものの“爆発”だった。
クルーゾー版とフリードキン版
フリードキン版の本来のタイトルは『SORCERER』である。
クルーゾー版の英語タイトルの『The Wages of Fear』でも、フリードキンに無断で改題された世界配給用のタイトル『Wages of Fear』(私が最初に見たバージョン)でもない。SORCERERとは、魔術師あるいは“運命を引く者”のことである。フリードキンは、クルーゾー版に最大の敬意を払い、完全なるリスペクト作品を創った。しかし、ただの焼き直し(リメイク)ではなかった。フリードキンはクルーゾーが創造した『恐怖の報酬』に、さらなる魔術をかけていたのだ。その魔法が、40年の時間を隔てて発現した。
だから、クルーゾー版とフリードキン版を比較して優劣をつけることに意味はない。
ふたつの“恐怖の報酬”は、並び立っているのだ。
フリードキン版に登場するトラックは、“SORCERER”と“LAZARO”と名付けられている。
オープニングで『エクソシスト』を思わせる石造の顔が暗示的に浮かび上がる。その顔のように見えるフロントの“SORCERER”が、フリードキン版であり、イエスによって死から蘇った聖人LAZAROがクルーゾー版だと言える。二人の監督の作品は、それぞれが接触して引火するのを避けるために、離れて走るのだ。