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小島秀夫が観た『恐怖の報酬 オリジナル完全版』

40年後の「完全版」から、何が見えるか?

2018/11/25

genre : エンタメ, 映画

note

ゲーム作品と変わらない「商品の理屈」を超えたもの

 しかし、それはマーケットを無視して作品を世に提示する、ということとも違う。たとえば、公開時に興行的にも批評的にもさんざんな結果しか得られなかった『ブレードランナー』が、ビデオパッケージの市場の成長とともに、インターナショナル版、ディレクターズ・カット版、ファイナル・カット版と、様々な“完全版”を生み、映画史に残る“作品”としての評価と実績を獲得したような現象も起こるのだから。

 これはゲーム作品でも同じである。

 以前はパッケージをリリースすればそれで終了だった。しかし今はマーケットと環境の変化にともなって、リリース後にもDLC等によるサービスが続く。そして1年後程度にそれらをまとめたパッケージが出る。それが“完全版”として後世に残る。その過程で、商品の理屈だけでなく、作品やクリエイターの作家性や創造性を尊重した上で、残すことが重要なのだ。

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 さらに、ハードが変わるたびにリメイク作品が創られるようにもなった。そうした過去の積み重ねによって、後続のクリエイターたちに影響を及ぼし、ゲームという最先端のエンタテインメントがより一層豊かに発展していくことが望ましい。私が現在、創作している『DEATH STRANDING』は、世界中のマーケットの期待に応えながらも、作家性を確かに宿した作品として、日々の創造を続けている。

なぜリバイバルがブームになっているのか

 さらに大切なのは、商品ではなく作品を創る作家、クリエイター、作品へのリスペクトだろう。クルーゾーの『恐怖の報酬』をリメイクしたフリードキンには、間違いなくそれがあったはずだ。そうでなければ、あの傑作を蘇らせようなどとは考えなかっただろうし、一度は商品としてズタズタにされた『SORCERER』をオリジナル完全版として復活させる執念も湧いてこなかっただろう。このフリードキンのスピリットの片鱗でも理解できれば、安易な商品の再生産でしかないリメイクの横行に歯止めがかかるのではないだろうか。

 ゲームと同様に、映画もそれを享受する環境が激変している。それでも映画館のスクリーンで映画を観たいという映画愛にあふれたファンは確実にいる。

 昨今のブームといっていいほどのリバイバル熱は、その証左だろう。

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 冒頭で述べた『2001年宇宙の旅』のIMAXや70mm版のリバイバル上映をはじめとして、ここ最近の日本に限っても、ウォルター・ヒルの『ストリート・オブ・ファイヤー』や、カーペンターの『ゼイリブ』『遊星からの物体X』、マイケル・チミノの『ディア・ハンター』などのリマスター版によるリバイバル上映が相次いでいる。私のような映画館での映画体験によって育ったフィルム世代にとっては、このブームは大いなる報酬でもある。