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すい臓がんで余命1年の母を看取って気づいたこと――瀧波ユカリ

瀧波ユカリインタビュー #1

2018/11/29
note

「あと1年以内に母が死んでしまう」ことに動揺していた

──離れて暮らしているからこその心配や焦りがあったと思うのですが。

瀧波 私は札幌で家族と暮らしていて、大阪に住んでいる看護師の姉が、母を引き取って、通院から看護まですべて引き受けてくれたので、正直ホッとしました。何もできないなりに何かしなきゃと思って、身体にいい野菜ジュースを送ったりしたんですけど、それをしたところで付け焼き刃に過ぎないというか、自己満足にすらならなくて。

 今思えば、「あと1年以内に母が死んでしまう」ことにすごく動揺していたんですけど、その時は自分が動揺していることもわからない感じでした。気がつくと何時間も「すい臓がん」について調べていたり、何も考えられなくなったり、突然激しい腰痛に襲われたり、心も体も揺れていたんですね。

 

──お姉さまが引き取るというのは、ご兄弟の間で決めていたのですか。

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瀧波 姉が母の世話は全部やるというのは最初から言っていて、私と兄は、じゃあ病院に行く時にお金もかかるだろうから、月々金額を決めて振り込むよ、という感じでなんとなく役割分担ができていました。

──お母さまのことを漫画に描こうと思ったのはいつ頃ですか。

瀧波 私はこういう仕事をしているので、子どもの出産のことも『はるまき日記』で描きましたし、母の病気が分かった時から、いつか何かの形で描くんだろうなと漠然と思っていました。これがもし、交通事故や脳梗塞などで突然亡くなったりしたら、描きたい気持ちになれなかったと思うんです。でも「あと1年」と言われたので、母の状況が進むごとに「本当に描くことがいっぱいあるな」という思いが蓄積されて、描きたい気持ちが自然に高まっていった感じです。

著書『ありがとうって言えたなら』

「死にそうな人は機嫌よくする余裕なし」

──ご著書の中で、「死にそうな人は機嫌よくする余裕なし」という標語は説得力がありました。

瀧波 もともと素直じゃない性格なので、病気になるとますます人に優しくする余裕なんてなくなるんですよ。だから、病気になった時点で、それまで築いてきたコミュニケーションの取り方によって関係性が決まってしまうんだなと、しみじみ思いました。ドラマみたいに「病気になったから、子どもたちに優しくできる」が母にあり得ないのは、そういう理由からなのか、と納得できました。

 

──そうなんですね。

瀧波 病気になると、コミュニケーションの改善どころではなくなってしまうので、親といい関係性を築きたいと思ったら、親が元気なうちに関係性を見直しておくのがいいと思います。特に男の人の場合は、親とうまく話せないとか、親の顔を何年も見ていないということをよく聞きますが、そういうことで悩んでいる時間って意外とないよ、って言いたいです。