麻原と現金、ビン・ラディンとポルノビデオ
隠し部屋に潜んでいた麻原彰晃が逮捕された際、900万円の現金とともにいた、あるいはビン・ラディンが殺害された後、アジトを捜索するとポルノビデオがあった、こうした話と似ている。俗物であることを世に知らしめ、威厳を失墜させる。絶対者を追い落とす際の“あるある”だ。
かくして経営難に陥った日産を「V字回復」させたカリスマは堕ちる。そして逮捕から3日後、取締役会はゴーンとその腹心で代表取締役のグレッグ・ケリーの解任が、ルノー出身の役員も含めて全会一致で決議されるのであった。
「まるで映画を見ているようだった」松竹解任劇
それにしても、逮捕から解任に至るまでの手際は見事である。この手際のよさこそ解任劇の面白さでもある。
組織図の上での絶対者を、平等に一人一票の取締役会で打ち負かす。これが株式会社での解任劇である。そのために仲間を集めるところからはじめて数ヶ月、ものによっては数年前から水面下で周到な準備をし、そして刹那の勝負に賭ける。「オーシャンズ11」のような面白さが解任劇にはある。
1998年、松竹の奥山親子(父・融が社長、子・和由が専務)が解任された際、奥山和由はその模様を「まるで映画を見ているようだった」と直後に述べている。仕掛けたほうも、弁護士によるシナリオをもとに、緊急動議から採決までをリハーサルして臨んだと言われ、こちらはこちらで映画の撮影のようである。
この絵図を描いたのは、企業法務で有名な久保利英明弁護士が当時所属した事務所であった。久保利は1992年に産経新聞社で起きた鹿内宏明の解任劇を取り仕切っている。そこからのアドバイスは「解任された側に反撃する手段を与えないのが鉄則」であったという(注1)。それでいえば今回の日産は、解任前に逮捕までさせているのだから、手抜かりがない。
くだんの奥山和由は映画人だけあって「まるで映画を見ているようだった」と気の利いたことを言っているが、多くの解任された権力者は無効を主張するのが常のようだ。たとえば1985年に松坂屋の社長を解任された伊藤洋太郎は「会議は無効だ。明日からも私は出社する」と突っぱねようとしたように(注2)。
前述の鹿内宏明も解任が議決された際、「こんなの(緊急動議)は議題にないじゃないか。おかしいよ、成立しないよ」と慌てふためく。しかし首謀者のひとりに「商法で認められています」とたしなめられるのであった(注3)。弱者が強者に挑むのである。事前に決議事項に「解任決議案」などと書くはずもない。