よその会社の騒動は面白い。程度の差はあれ、自らの勤務先も含めてどこの会社にも潜む問題や葛藤がめくれ出るのを見るからだ。そう改めて思わせるような出来事が起きる。日産の会長、カルロス・ゴーン逮捕・解任劇のことである。

 第一報は、11月19日の夕方にメディアが報じた「ゴーン逮捕へ」であった。続いて空港でジェット機から降り立つなりの逮捕、そして夜の西川社長の記者会見へと矢継ぎ早にことが進んでは、それらのニュースが次々と流れた。

日産西川社長の会見 ©︎AFLO

やがて話題はゴーンの「俗物性」にうつってゆく

 この逮捕は、日産社内での内部告発をきっかけに東京地検特捜部が動いての、役員報酬の過少申告の容疑であった。そんなわけでSNSには「コーポレートガバナンスが効いているから告発できた」派もいれば「コーポレートガバナンスが効いていないからこのような不正が起きた」派もいて、さらには「フランス政府をバックとするルノーとの国際的な攻防を背景にみる」派もおり、沸き立つ。くわえてその晩に行われた西川社長の記者会見での立ち振舞を、危機管理・企業広報の観点から称賛する者も現れる。

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 報じるメディアは、およそ20年におよんで君臨したゴーンの功罪、高額役員報酬、コーポレートガバナンス、内部告発、司法取引、ルノーvs.日産……こうした経済ネタをまずは俎上に載せた。それもつかの間、ゴーンの「私物化」の実態が暴かれていく。家族旅行や結婚式の費用を会社に出させたり、勤務実態のない姉に契約料を支払わせていたりといったニュースである。

©︎AFLO

「どんな聖人も一皮むけば金と女と権力」と言ったのは、週刊新潮を創刊して俗物主義を謳った斎藤十一であるが、このたびの日産の事件は経済ネタから一転、ゴーンの俗物性へと移ろっていった。