国から承認されるのは「250分の1」
通常、医薬品などは、これら3段階の臨床試験をクリアして、はじめて国からの承認(販売許可)と保険適用が認められることになります。オプジーボも、この3段階の試験で画期的な成果を上げることができたからこそ、とても高額な薬であるにもかかわらず、保険で治療が受けられるようになったのです。
しかし、すべての医薬品候補物質が、この3つの関門を無事にクリアできるわけではありません。動物実験で期待ができそうな結果を出し、人間で試す前段階まで来た候補物質のうち、国から承認されるのは「250分の1」の確率と言われています。つまり、効果を証明できなかったり、安全でないことがわかったりして、ドロップアウトしてしまうものがとても多いのです。
そもそも、マウスなどの動物と人間は、同じ哺乳類といっても異なる生き物です。マウスでいい結果を出せたとしても、人間で同じようにならないことは、いくらでもあります。だから、人間(健康な人や実際の患者)を対象にした臨床試験をわざわざ行うのです。
実際に治療が行われるまでには10年前後かかる
このiPS細胞から作ったキラーT細胞の治療も、これら3つの関門を無事クリアしたとして、保険適用の治療として実際に行われるようになるまで、たぶん10年前後の時間が必要になるでしょう。人間を対象としない基礎医学研究として成果を出したわけですが、実際の人間を対象とする臨床医学研究としては、スタートラインに立ったばかりなのです。
それに、この研究が3つの関門をクリアできない可能性だってありえます(そうならないことを祈りますが)。実は、がん患者自身のキラーT細胞を増やして体内に戻す治療法や、がん細胞を攻撃するようキラーT細胞を誘導する治療法は、これまでも研究されてきました。しかし、いまのところ画期的な成果は得られていません。にもかかわらず、こうした治療を保険の利かない高額な自由診療で提供している民間の医療機関があり、がん専門医から批判されています。
もちろん、今回の研究グループのキラーT細胞の治療が、これまでと違って画期的な成果を出す可能性はありますが、私たちとしては過度な期待をするのではなく、臨床試験でどんな結果が出るか冷静に見守る必要があるでしょう。
ところが、日本のメディアは細胞実験や動物実験の段階や、これから臨床試験がスタートするような「まだ海のものとも山のものともわからない」研究を、画期的な成果を出したかのように、大きく報道してしまう傾向があります。日本のメディアは「サイエンス」らしく見える「基礎研究」のほうがニュース価値が高いと思い込んでいるようなのですが、現実の患者に直接関わるのは、その研究が「実用化」されて治療が受けられるようになるタイミングのはずです。報道する側の意識と、患者が本当に必要とする情報との間に、大きなギャップが生じているのです。