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「自由」と「親密性」の両立が難しい理由

 世界が流動化して、自由がいきわたると、親密な関係は難しくなる。なぜなら「親密になる」ということは、不自由になることであるからだ。

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 親密な関係とは特定の相手と深いコミットメントを行うことであり、それは時間をかけるなかで、その相手のいいところとわるいところの両方が見えてくることだ。そこには不快がある。だから、自由を重視するのであれば、不快が増したところで、コミットメントを撤回して、次なる相手にコミットメントを行うことが快を増す。ビジネス的なコスパの計算で考えるとそうなる。

 だけど、親密な関係のふしぎなところは、そういう不快にも関わらず、コミットメントを持続して、時間を共に過ごし続けることに見返りがあることだ。

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 社会学者の筒井淳也氏が「親密性の社会学」で描いているように、どういう相手を選んだかよりも、選んだ相手との間でコミュニケーションを続け、コミットメントを持続していくことで、親密性から得られる満足度は高くなる。憎しみや怒りの時期を超えて、それでも付き合ってきた長年のパートナーや友人にしかない味わいというものは確かに存在しているではないか。

 もちろん、早く切った方がいい悪しき繋がりは確かに存在しているのも事実なのだけど、同時にコミットメントによる不自由さや拘束に自らを差し出すのが親密な関係なのだ。ほら、結婚式では拘束のリングを互いにはめ合うではないか?

「市場」と「親密性」に引き裂かれる生きづらさ

 こういうことだ。

 お金は金庫の中で動かさないでいるよりも、投資してグルグルと回していくと増殖する。だけど、親密性はグルグル回すとすり減っていく。一つのところから動かさない方が、価値が上がる。

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 今、私たちは難しい時代を生きている。一方で、私たちは自由になることを求める。市場で流動化しうる人間になることで、癒されたいと願う。

 だけど、自由になればなるほど親密な関係は難しくなる。そのとき、人は孤独になる。寂しくなる。安心を失う。私たちはそのとき、不自由を必要とする。だから、現代とは、人々が自由を求めながらも、同時に不自由を求めている難しい時代なのだ。

 市場と親密性。現代を生きる私たちは、その折り合いの悪い二つの世界を、剥き身でサバイブしていかないといけない。

 思い起こしてみると、精神分析の始祖であるジークムント・フロイトは、心の健康とは何かと問われて、次のように答えていた。

「愛することと働くこと」

 メンタルヘルスの世界には流行り廃りが確かにあるのだけど、結局のところ、私たちは時代を超えて同じことに取り組みながら生きてもいるみたいだ。