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「高坂はん、テレビで見てまっせ」
訪米直前の佐藤首相とテレビ番組「総理と語る」で対談したように、高坂先生はテレビ政治、いわばテレポリティクスの先駆け的存在でもある。
最も驚いたのは、昭和天皇の体調悪化で自粛ムードのあった1988年の大晦日、高坂が「朝まで生テレビ」に出演したときのことである。高坂先生は、「〔天皇は〕無用の用で、ある種の安全弁みたいなものだと思うのです」、「僕らは関西だから、天皇さんになるんだね」などと自由に意見を述べていた(テレビ朝日出版部『生テレビ・熱論 天皇』全国朝日放送、1989年)。
1980年代末から1990年代の激動の時期には、テレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」にレギュラー出演していた。ちょうど私が京大法学部で高坂先生の国際政治学や外交史を受講していたころであり、番組は欠かさず見た。
テレビでの高坂先生は多弁ではないが、大所高所から端的に意見を述べられることが多かった。それが柔らかい京都弁で語られるものだから、なんとも味わい深かった。
あるとき高坂先生が京都の繁華街を歩いていると、「高坂はん、テレビで見てまっせ」と声を掛けられたという逸話を学生時代に聞いたことがある。高坂先生は、京都の顔でもあった。