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紳助、清張、船越 それぞれの「真面目」

「週刊文春」11月2日秋の特大号 最新レビュー

2017/10/28

 今週の週刊文春は特大号ということもあるが、それにしてもたいへんな読み応え。なかでも「島田紳助 独白4時間」と、「ブーム白熱!『松本清張の世界』」と題した清張特集がとりわけ読ませる。

ダウンタウンに負けを認めた紳助

島田紳助 ©森健太郎/文藝春秋

「島田紳助 独白4時間」は、引退から6年、最近ムキムキになったと噂の島田紳助のインタビュー記事である。

 その紳助、芸能界でやり残したことはないと言う。いつかダウンタウンの松本人志と二人で仕事したいと思っていたが、それも「松紳」(2000-2006)で実現。「あいつのこと、めっちゃ好きなんですよ」とまで言うのであった。

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 そういえば、戸部田誠『1989年のテレビっ子』(双葉社)からの孫引きになるが、1985年、紳助が漫才を辞めると決意した際のスポーツ新聞の見出しが「紳竜引退宣言。自らの漫才に限界を感じた。このままでは、サブロー・シロー、ダウンタウンに勝てない」であった。いち早くダウンタウンの才能を見抜き、それどころか負けを認めていたのである。

紳助に割り勘の素晴らしさを教えられようとは

 芸能界引退のとき、妻に「明日から普通の人やで。病院も並ばなあかんねんで」と言われる。そういう浮世離れした身分から降りた後に出来た友達は、食い詰めた者から何百億の資産家まで様々だが、「大切なのは、対等な立場で付き合うこと」だと述べる。

 そんな紳助は意外なことを記者に語る。

「割り勘のフェアさを知って感動したんですよ」。18歳で芸能界入りした者ならではのエピソードが続く。

「『明日早いんで、お先です』と帰っていく若いやつがいて。それが衝撃でね。僕のいた世界では若いのが先に帰るってあり得なかったですから」 それが割り勘なら、いつ帰ってもよくて、「素晴らしいシステムやな」と唸るのであった。

 そして、かつての自分の飲み会に、帰りたくても帰れない者がいたとようやく気づく。格のある者がおごり、おごられる者は酒につき合い続ける。この芸能界の常識で生きる生真面目さと、カネで縛り、縛られるの関係は背中合わせにあろう。それにしたがい続けた紳助だからこその気づきが、それにしてもまさか、紳助に割り勘の素晴らしさを教えられようとは。

1985年5月16日、コンビ解消の記者会見をする漫才の島田紳助(右)と松本竜介 ©時事通信社