伯父・原辰徳という十字架
では、菅野がなぜそういう思考に至ったかを考えると、やはり「血」の問題に行きつかざるを得ない。菅野は入団前から誰よりも勝利を義務付けられている男だった。日本ハムのドラフト指名を拒否し、伯父である原辰徳が監督を務める巨人入りにこだわった。指名拒否自体は選手の権利であって、何ら責められるいわれはない。ただ、結果的にドラフト1位の指名権を無駄にしてしまった日本ハムという球団に対する責任をまったく感じなかったはずはないし、ファンの声も菅野の立場を理解したものばかりではなかっただろう。1年間浪人してまで入った巨人で、期待を裏切るわけにはいかない。その責任感が菅野という投手を大人にしたのではないか。
そういえば、プロ初勝利後のお立ち台で「(原監督を)超える、というのは一つの目標」と語った菅野に対して「どんな状況になったら原監督を超えられたと思えますか?」と聞いたら、こんな答えが返ってきた。
「原監督の甥っ子が菅野じゃなくて、菅野の伯父さんが原監督って言われるようになったらですかね」
原監督が不在だった3年間で、最多勝2回、最優秀防御率3回、沢村賞2回。押しも押されもせぬ球界のエースにのし上がった。今回の背番号18への変更も原監督自らの打診によるものだったという。実際に「菅野の伯父さんが原監督」と言われるかどうかは別としても、プレーヤーとしてのグラウンドでの存在感は肩を並べるところまで来ている。「純粋なピッチングの楽しさ」を捨ててまで積み上げた実績は嘘をつかない。“原辰徳を超える日”は、着実に近づいている。
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