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 歓喜の瞬間はもう目の前。マウンド上でナインが抱き合う中心にはカトケン―。そんな時、東京ドームにアナウンスが響いた。「代打・阿部」。8回先頭、一直に倒れたが、主役の登場に本拠地は大盛り上がり。9回にマスクをかぶり、最高のフィナーレを自らの手で締めくくった。完璧にお膳立てする形となった加藤だが、表情は晴れやかだった。

「阿部さんが1年間ずっとホームベースを守ってきたので」

 一塁ベンチ。割れんばかりの大歓声にかき消されないように、耳元で阿部がつぶやいた。

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「カトケン、悪いな」

 大一番をドタバタで後輩に託すことになったことへの謝罪だった。

「阿部さんがそこまで考えてくれたんだ、と。その一言にジーンときた。本当にうれしかったです」

10番が君臨したこの19年間、他の捕手たちはジャイアンツ史上、最も出場機会を奪われた ©文藝春秋

「自分より阿部さんが上。それを認めないと伸びない」

 高卒と大卒の違いで、加藤が阿部を初めて見たのはプロ3年目だった。打席に立てば豪快にとんでもない飛距離のアーチをかけ、マスクをかぶれば並外れた強肩を披露。「誰が見ても自分より阿部さんが上。それを認めないと伸びないと思いました」。不動のレギュラーと攻守の差を受け入れ、その差を埋め、いつか追い越そうという姿勢がプロ野球選手として息を長くしたという。

「打つほうでも守る方でも越えられない壁があった。少しでも近づけるように。阿部さんがいたから18年できました」

 2016年。阿部より3年早くユニホームを脱いだ時のカトケンの言葉だ。

 ポジションは一つしかないから、巨人に10番が君臨したこの19年間、他の捕手たちはジャイアンツ史上、最も出場機会を奪われた。それでも、圧倒的な実力を誇示し続け、高校時代の私のような嫉妬を周囲に持たすことすらなかった。どれだけ名をはせても配慮を欠かさない人間性でライバルたちを腐らせることもなく、高く険しい目標となり上へ上へと後輩を引き上げた。

 と、「捕手相関図」を書いていると何かに重なった。一強で人気も独占する。他球団がこぞって打倒を掲げ、それが球界全体の活性化につながり、野球が日本の文化となった。そう、球界の盟主と称されていたジャイアンツである。阿部慎之助は巨人そのもの、と強引にコラムを結びたくなるほどの存在だった。「阿部巨人」の誕生の際は、アンチで溢れかえるほどの黄金時代を築いてもらいたい。

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