3月下旬。スタンドは無人でも、まだ球音が響いていた2軍の本拠地・鳴尾浜球場で「クワさん」は地道に、そして着実に前へと歩を進めていた。桑原謙太朗――。今やチームの揺るがぬストロングポイントとも言えるタイガースの鉄壁で強固なブルペンを支えてきた男は今、少しだけ癒えた「傷」を抱えながら、復活を期している。
長いリハビリを経て感じたポジティブな気持ち
「うわ、珍しい。何しにきたん?」。キャンプが終わって初めて顔を合わせた同い歳の記者を見て、絵に描いたような苦笑い。少しだけ頬を緩めながら隣を通り過ぎると、グラブを持ってグラウンドに消えていった。この日は2軍本隊は遠征に出ていたため、屋外での練習は午前中で終了。西純矢、及川雅貴ら18歳のルーキーたちが「お疲れさまです!」と関係者にあいさつしながら寮へ入っていった後に、ウエートルームから引き揚げてきた34歳は、足を止めた。
「ボチボチやるよ。昨年からの期間で一番、しっかり投げられている感じやし。痛みは完全には取れないけど、我慢しながら投げるよ」。ある意味“違和感”があった。普段からあまり感情を表に出すタイプではない。囲み取材でも口数は少なく、言葉から真意をつかむことが難しい選手。それでも、この時ばかりは前向きでポジティブな気持ちをわずかながらに感じたからだ。理由があるとすれば、数日前に登板したフリー打撃。打者相手に本格的な投球をしたのは、今春初めてのことだった。長いリハビリを経て、ようやく光が差し込んできていた。
17年、当時の金本知憲監督が現役時代に対戦した記憶も材料に、独特の曲がりをする「真っスラ」に目をつけて1軍で起用。チームトップの67試合に登板し、防御率1.51、最多ホールドのタイトルを獲得するなど驚異的な1年を過ごしてプロ10年目に大きな飛躍を遂げた。翌年も2年連続60試合登板をクリアし、防御率も2点台。どんなピンチでも必ず仕事を果たして帰ってくる――。横浜(当時)、オリックスを渡り歩いてきた苦労人はチームにも、ファンにもそんな安心感を抱かせるリリーバーへ見事に変ぼうを遂げた。