文春オンライン
文春野球コラム

ドミニカで直撃 フリオ・フランコが語ってくれた「なぜ俺はこんなに日本が好きなのか」

文春野球コラム2020 90年代のプロ野球を語ろう

2020/04/07
note

 フリオ・フランコが聖職者になったらしいーー。

 いま振り返れば、2013年にドミニカ共和国でそんな噂を聞きつけたことが、僕にとって中南米野球を取材し続ける原動力になっている。

 過去、日本のプロ野球には数え切れないほど多くの外国人選手がやって来た。その中で、1995年に来日してロッテでプレーしたフランコの実績は頭抜けている。メジャーリーグで実働23年間プレーし、通算2586安打、生涯打率.298。1991年には首位打者に輝き、各ポジションで最も打撃に優れた選手に贈られるシルバースラッガー賞を5回受賞している。ついて回った年齢詐称疑惑も何だか謎めいていて、見る者にとって心惹かれるものがある。

ADVERTISEMENT

©龍フェルケル

僕をどっぷりロッテに浸からせた「現役バリバリのメジャーリーガー」

 個人的に、フランコは最も思い入れの強い外国人選手だ。

 もともと西武ファンだった僕は、中学生になってロッテファンに鞍替えした。きっかけは1989年10月12日、近鉄のラルフ・ブライアントにダブルヘッダーで本塁打を4連発されたことだ。ブライアントがこんなに打たなければ西武がリーグ5連覇を飾っていたはずだと、敵視するようになった。

 だが少しして、冷静になって気づいた。ダブルヘッダーで4連発するなんて、これほどすごいことは滅多にないはずだ、と。自分は西武にのめり込むあまり、純粋に野球を楽しめなくなっているのではないか、と。

 ちょうどこの年、両親の都合で西武池袋線の富士見台から小手指に引越し、地元の学童野球チームでプレーし始めたこともあり、西武球場に通う回数は激減した。ライオンズと心理的な距離ができたからだろうか、なぜか一番弱いチームを応援することにしようと思った。それがロッテだった。

 とにかく勝てない。だが負けてばかりだから、一つの勝利に大きな喜びがある。それがロッテファンになって知ったことだった。

 そんな僕をどっぷりロッテに浸からせたのが、1995年に監督として来日したボビー・バレンタインとフランコだ。「現役バリバリのメジャーリーガー」という価値は当時よくわからなかったが、バットのグリップを高々と掲げ、先端を相手投手に向けた構えは何だかすごそうだ。実際、フランコは127試合で打率.306の活躍を見せ、チームを10年ぶりの2位に導いた。

 フランコは1年限りで退団したが、1998年、再び来日する。するとロッテは開幕から4月終了時点まで11勝5敗と好スタートを切った。ロッテの快進撃を伝える日刊スポーツの見出しが周囲に見えるように折り畳んで持ち、僕は大学のキャンパスを闊歩した。まさか、その後18連敗を喫するとは知らずに……。

文春野球学校開講!