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 記事の写真から、ランニング・ゾーンはJR関内駅側から公園に入ってすぐ左側、市庁舎前交差点のあたりまで伸びていたと思われる。今はきれいに整備された外野入口一帯だけど、以前は未舗装で少し風が吹くと砂ぼこりが舞い、雨が降るとドロドロになって列に並ぶ人を困らせていた。そんなことを思い出しながら、斉藤明夫が、山下大輔が足腰を鍛えたであろうそのゾーンを走ってみた。何てことのない場所にも球団の歴史が詰まっている。野球のない今、それだけでも心が躍ってしまう。

この街にはベイスターズが変わらずに存在している

 しかし横浜官庁街のど真ん中、それも70mと極めて短いそのランニング・ゾーンを、当時のホエールズの選手たちはどれだけ活用したのだろう。筆者が足繁くスタジアムに通うようになった昭和59年以降、そこで選手たちの姿を見た記憶は一度もないから、警備上の問題もありそう頻繁に使われることはなかったのではなかろうか。特にタイガース・フィーバーが吹き荒れた昭和60年頃からはレフト入口で徹夜する各球団の熱狂的ファンが増え、その目の前で練習するのはほぼ無理だったはずだ。このゾーンが作られた昭和57年頃は現在ほど練習環境が整っていない球団も多く、巨人も多摩川グラウンドが台風襲来で2度にわたり水没。シーズン中にも関わらず練習場所を確保できない状況が続いた。ハマスタのランニング・ゾーンも苦肉の策で作られたと思われる。

 横浜公園を出て日本大通り駅から帰宅の途につく。オフィシャルショップ〈+B〉は休業中だけど、日本大通りの街灯にはベイスターズのフラッグがいつもと同じようにかかっていた。駅構内のベイスターズ広告はちゃんと2020年バージョンになっていて、ランドマークタワーよりも大きなヤスアキが吼え、三嶋はベイブリッジを跨いで投げている。ホームドアのサイネージ広告には“この状況下で働く方々に感謝と尊敬を込めて”の意のもと、「横浜からあなたへ」と題したキャプテン佐野恵太らのメッセージが表示されていた。試合はなくても、この街にはベイスターズが変わらずに存在している。そのことが何よりもありがたい。

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日本大通り駅ホームドアのサイネージ広告(上2点)と選手が横浜の街を舞台に躍動する迫力満点の広告 ©黒田創

“野球どころじゃないよね”。何もかもが大きく変わり始めている今、ついそんな言葉が頭をよぎったり、野球のことを忘れてしまう瞬間もあるけど、やっぱり僕らは野球が好きだし、ベイスターズが心の拠り所になっている。6月になるのか、7月になるのか、はたまた来年になるかもしれないけど、どんな形でもいいからベイスターズを感じていたい。そして願わくば、新装なったスタジアムで野球を観たい。そのことが、きっとこれからの小さな希望になるんだと思う。

 そういえば、一昨日5月11日は2006年に石井琢朗が2000本安打を達成した記念すべき日だ。この時期は暗黒期真っただ中でガッカリさせられることばかりだったけど、松原誠に続く生え抜きとしてのタクローの快挙は心の底から嬉しい出来事だった。掃除の時、その翌日のスポーツ新聞が出てきて改めて感慨深くなったのは言うまでもない。

石井琢朗2000本安打達成翌日、2006年5月12日付の日刊スポーツ一面 ©黒田創

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