気象予報士になったのも「青」がきっかけ?
好きな天気は青空。真夏の南国のような“紺碧の空”が好きです。古関裕而さん作曲の早稲田の応援歌、紺碧の空は良い歌ですね。いや、早稲田大学に未練があるわけではありません。明治の紫紺の歌も名曲です。飛行機で高度1万メートルを飛行すれば、見える空の色は少し紫っぽく、“紫紺の空”と言えるかもしれません。そんな色の空が好きです。気象予報士になったのも、空が青い理由を理解したかったことがきっかけのひとつです。
高校野球は、ネイビーの横浜高校、水色が鮮やかなY校を応援していました。私のクローゼットには、ブルー系の色のシャツが、長袖7枚、七分袖2枚、半袖3枚と並んでいます。私が最初に就職した会社の社名には「青」が入っていました。自宅でみかん氷を作るときはブルーハワイのシロップです。魚なら、魚へんにブルーと書くサバが好きです。横浜市内なら青葉区に住みたい……。
そうそう、私の名前は靖洋です。名前にもブルーが! しかも、大洋の洋まで。ここまで来たら、大洋ファンになりファンを続けてきたのは、もう運命だったとしか言いようがありません。名前を付けてくれたお父さん、お母さんありがとう。
さて、父はいつから大洋ファンなのか。改めて聞いてみました。父は東芝に就職。知り合いだった東芝野球部の選手が大洋に入団したことで大洋ファンになったそうです。さらに、1960年大洋ホエールズ優勝時の4番打者だった桑田武さんと父は同じ中学校で、野球部で一緒に野球をしていたそうです。私は、このことを今回初めて知りました(こんな大事なこともっと早く教えてくれ!)。桑田さんが大洋に入り、ファンだった三原さんが大洋の監督になり、ますます大洋ファンになったそうです。実はかなりのオールドファン。それなら、なぜ幼稚園の時にジャイアンツの服を私に着せたのか? それはさておき、父は今年83歳、その間ホエールズ・ベイスターズが優勝したのは2回だけです。私だって47年生きてたったの1回です。カープファンなんて、小学生でもすでに3回も優勝を見ているのに。
横浜スタジアムは座席が全部青色になり、ライト、レフトにウイング席もできて、スタンドのブルーはますます迫力が増しました。今年は当面無観客でも、スタンドはブルーに包まれます。でも、早くスタジアムが青い歓声に包まれることを願うばかりです。
弱い時代が長くても、ハマスタ、ホエールズ、ベイスターズが大好きです。私は一生ベイスターズします! たとえ優勝できない時期が続いたとしても……。
でも、やっぱり優勝したいなあ。父と一緒に、もう一度と言わず何度も優勝を見たいなあ。
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