女性は、「そうなんです~。暑いんです~」と後ずさりをしながら、「私も、このままもっとお話ししたいんですが……。失礼します」と下がった。垣間見えた女性の笑顔にほっとした。
もともと旅館で仕事をする人は、人をもてなしたいというホスピタリティー精神に溢れているタイプが多い。私自身が感じた寂しさは、きっとスタッフも同様なのだ。フェイスシールド越しのもどかしさは、みなが抱えているのだ。いまは人類共通の敵であるコロナと闘わなければならないとき。これも仕方ないのだ……。
他のお客さんがマスクをつけていない……
さっきの一言以外は、ほぼ誰とも話をしないまま夕食を終えた。温泉旅館の食事処とは、各所から笑い声や会話が漏れ聞こえるものだが、この日はお客さん同士の会話も聞こえてこず、食事処全体がひっそりしている。
だが、夕食を終えて部屋に戻る時、他のお客さんが誰もマスクをしていないことにふと気づき、正直驚いた。旅館に到着した時はつけていても、大浴場や食事処への行き帰りに、館内を行き交うお客さんはほとんどマスクをしていないのだ。旅先での安心感・満足感には「旅館のコロナ対策がどれだけ充実しているか」はもちろん、「他の宿泊客の意識がどれだけ自分と近いか」も、大きな影響を与えるだろう。
そして時間が経つにつれ、私は徐々に、お客さんに接する従業員が十分な感染予防をしていることは当然だと思い始めた。「仰々しい」だの「違和感」だの、ごめんなさい。ここまでするのは、そりゃ、当然です。
“新しい温泉旅館スタイル”が必要だ
今回、「新しい旅館のスタイル」を体験して感じたのは、温泉旅館にマスクはなじまないということだ。
そもそも温泉旅館とは、リラックスして心身ともに裸になる場だ。だからマスクを着用したくないお客さんの気持ちも理解できる。脳がそう認識しているので、マスクとフェイスシールドで完全防備しているスタッフの姿に、私は一種の拒絶反応を示してしまったのだ。
ちなみに兵庫県城崎温泉は、いち早く浴衣に似合うマスクの開発に取りかかった。感染予防にお客さんにも協力してもらおうという狙いだ。
観光庁からは、6月19日に旅行者に向けた「新しい旅のエチケット」が発表された。「毎朝の健康チェックは、おしゃれな旅の身だしなみ。」「握手より、笑顔で会釈の旅美人。」「こまめに換気、フレッシュ外気は旅のごちそう。」等、旅心が損なわれない洒落た文言が並ぶ。
このように、観光地や温泉旅館のような受け入れ側が取る対策に加え、旅する私たちの心がけも必要である。新しい観光地・温泉旅館スタイルをみんなで作り出さなければならない。
では、この“新しいスタイル”への転換を、旅館側はどのように捉えているのだろうか。チェックアウト後に、一の湯グループの小川尊也社長(35歳)に、「コロナ禍での変化と戸惑い」について聞いてみた。
撮影=山崎まゆみ
(後編に続く)