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サンドが持ってきた手土産をみて“叱責”

 2人は1993年に高校を卒業するが、“芳賀先輩”の厳しい注文に応え続けた富澤は、アルバイトをしながらお笑い芸人を夢見て、伊達とは違う相方とお笑いコンビ「ゆやゆよん」を結成することになる。

 一方の伊達は車椅子などを作る介護用品メーカーに就職した。一度は別々の道を選んだが、5年間にわたって富澤が伊達に対して熱烈な勧誘を続け、2人は98年にコンビを結成することになる。コンビを結成した夏、2人の足は自然と芳賀さん宅へと向かっていた。

「ある日の夕方くらいだったかな。2人から『話があります』と連絡があって、『2人で東京で勝負します』って上京前にわざわざ僕の家まで報告に来たんです。そのときに2人が手土産に、おでんと野菜の具材を持って来たんで、それを『つまんねぇ』ってめちゃくちゃ叱った覚えがあります。けど、スタートラインに立とうとするだけで凄いなと思いましたね」

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宮城ラグビー親善大使も務める2人は、2019年のラグビーワールドカップでもさまざまなイベントに参加した(ブログ「サンドウィッチマン伊達のもういいゼ!」より)

 しかし、上京してから思うような結果を出すことができず、くすぶり続ける。芳賀さんは、遠く離れたサンドを支え続けた。

「上京してから5年目くらいですかね。仙台のライブ会場だけでなく、東京の舞台もこっそり見に行きました。当時は、どっちがボケかツッコミかわからなくなるときもあったので、ライブ後に『しっかりやらなきゃダメだよ』って伝えました。でもネタに文句を言うとかではなくて、客の目線で意見を言うだけ。『まずは一般常識を勉強しなさい。一般常識を逸脱するかしないかが、おもしろいかどうかなんだから』と、ライブ後の仙台のファミレスで2、3時間ダメ出ししたこともありましたね。いまはそんな偉そうなこと言えないですよ(笑)。

 忘れられないのは、2004年に仙台であった夏祭りの営業。ゲストがあいつらで漫才をやったんですけど、ステージもない祭りの一角でやらされていて誰も見ていない。子どもたちも隣のヨーヨー釣りに集中してました。あまりにもかわいそうで居ても立ってもいられず、ライブ後に2人を食事に連れて行った。その席で『ヨーヨー釣りには負けてたけど、場所がよくないだけでやってることはおもしろいから、辞めんじゃねえぞ』って。それまで高校時代から“喝”しか入れたことなかったけど、初めて励ましました。ネタはしっかりしていたので、その翌年からは『エンタの神様』(日本テレビ系)に出始めましたね」