全てを捨て「野球一本でいく」決意
人生の岐路。運命の分かれ道。おそらく郡司にとって15歳の冬は、涙なくして語れない、と思ったら実はそうでもないらしい。
「慶応に落ちてから一般入試で行こうと思っていましたが、過去問を説いてもさっぱりで……。千葉の強豪私立に行く流れになっていたとき、(慶応高の)上田監督の紹介もあって、育英の練習を見にいきました。中学までは目いっぱい勉強していましたが、この際勉強は捨てて『野球一本でいく』と決めました」
結果的に、複数の野球強豪校の中から仙台育英高を選んだ。その決め手もまた郡司らしい。「育英に野球を見にいったら環境が良くて、なんだか楽しそうに練習してました。(当時監督だった)佐々木監督も『入れ』って言わないんですよ。『僕は君に入れとは言わないけど、運命を感じたよ』って。入学してから『僕は君に入れって言ってないよね』って聞かれましたけど、それ遠回しに入れって言ってますよね」。
これまた運命に導かれるように、生まれ育った千葉を離れ宮城へ進学。入学してすぐ主力の練習メンバーにも選出され「野球を辞めたいと思ったことは一度もなかった」と、杜の都で人間力、野球の技術をとことん磨いた。高校では2年秋に明治神宮大会優勝、3年の夏には甲子園準優勝と栄光をつかんだ。実績を十分に携え、少し遠回りしたが、兄と同じ「KEIO」のユニホームを大学で着ることもできた。
甘いマスクで「郡ちゃん」ファンは急増中
野球の実力ももちろんだが、マスク越しの笑顔にファンの視線も集中している。ゆるふわの天然パーマに目尻が下がった癒やし系フェイス。郡司曰く「お笑い芸人の千鳥・ノブさんや俳優の岡山天音さんに似ているとよく言われる」らしい。
実はもう一人いるそうだが「ファンの反感を買ってしまう」という理由で、ここで公表ができないのが非常に残念である。時には、ウーパールーパーなんて言われたこともあるとか、ないとか。「それはもはや人間じゃない!」と、郡司は大笑いしていた。
打撃、捕球、送球、経験、コミュニケーション。まだまだ克服すべき課題はたくさんある。竜の正捕手を奪うことは、簡単なことではない。それでも郡司裕也は、「挫折」どころか「へへへ」と少し笑みを浮かべながら、心に燃えたぎる魂を宿し、壁をきっと乗り越えていくだろう。あの15歳の冬のように。好きな言葉は「運命を愛し、希望に生きる」。どんな未来もかかってこい。
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