2020年2月。沖縄。1歳下の後輩・郡司のことを少しうらやむように梅津が話した。

「郡司のこと嫌いな人はいないです。僕が知る限りみんなから愛されてます。誰とでも仲良くなれるって、うらやましいですよね」

 そんな先輩から送られた最大級の褒め言葉にも、隣で「ヘヘヘ」と笑うのが郡司だった。

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 たっぷり間合いを取った後、郡司は「梅津さんは自分の軸をしっかり持ってますよね……」と、絶妙のタイミングでイケメン右腕を持ち上げた。「かっこいい」や「すごい」などの抽象的な言葉でない。梅津が「出た! この返し」と、思わず突っ込んでしまう一言を郡司はささやき、完全に会話のペースを握っていた。

入寮時に仙台育英高の先輩・梅津(左)にあいさつする郡司(右) ©報知新聞社

 中日・郡司裕也捕手(22)。19年ドラフト4位で慶大から中日に入団した。千葉市シニア、仙台育英高、慶大で日本一を経験。学生最後の六大学秋季リーグでは過去13人しかいない三冠王を獲得、元号が令和になってからは初の偉業を成し遂げ、元巨人・高橋由伸やロッテ・鳥谷敬に肩を並べた。

 アマ球界の王道を進んできた。それでもエリート風を吹かせる訳でもなく、穏やかに笑い、お気に入りの入浴剤の話をしてくれる好青年。大学時代はソフトバンク・柳町と2人で「温泉同好会」(仮称)を作り、綱島のスーパー銭湯へ毎週通った。慶大3年で“郡司の後継者”とも呼ばれる福井章吾も「湯船で延々と野球の話をしたのは本当にうれしかった」と、お湯にまつわる話はポコポコ出てくる。

 好きなテレビは「千鳥の相席食堂」。好きな食べ物は卵料理。特にオムライスには目がない。名古屋に来てからはひつまぶしのお店をググり、外出禁止が解けたら真っ先にいくつもりだ。それともう一つ。チームメートからの密告によれば「郡司のback number好きは有名ですけど、実はカラオケで歌っても上手い」と美声も持ち合わせているらしい。

アマ球界の王道を進んできた郡司 ©報知新聞社

 入団後は1軍キャンプスタートを決め、開幕1軍もつかんだ。6月25日のDeNA戦(橫浜)では岡野祐一郎と球団で83年ぶりとなる新人スタメンバッテリーを組んだ。首脳陣から「経験を積むため」と、2軍に降格したが、A・マルティネスの負傷もあり8月上旬に再昇格。スタメンで出場するとチーム6連勝へと導き特殊能力「勝ち運」も見せつけた。 

 しかし、チームを6連勝へ導く一方、最大の武器である打撃に狂いが生じた。郡司は類いまれな選球眼を持ちながら、思い切りの良さも兼ね備えるクラッチヒッター。それでもプロの一線級投手に戸惑い、8月は打率1割7分6厘と苦しんだ。そんな中、8四死球を選ぶなど出塁率は3割2分6厘。分母は少ないが得点圏では4割超とここ一番で結果を示し、必死に食らいついている。

 慣れないプロ野球生活。緊張感が張り詰めたグラウンド。これまで経験しなかった重圧を一身に背負っているが、どれだけ苦しい状況でも目は全く死んでいない。それどころか、次々と襲いかかる難題を何とか必死にクリアしようと前を向いている。

 そう、あの時も同じだ。裕也15歳の冬だった。

郡司裕也のターニングポイントは「慶応高の受験失敗」

 裕也にとって多大な影響を与えたのは7歳上の兄・拓也。慶応高に進学した兄の背中を追い同高への進学を目指した。小さい時は帰宅時の「ただいま」より「にぃにぃいる?」と母に聞くのが先。2人で仲良くキャッチボールやテレビゲームをするのが楽しみだった。

 夏休みの宿題は真っ先に終わらせ、授業態度が悪いと先生から怒られることもない。成績も学年最上位。まさに文武両道で兄と同じ「KEIO」のユニホームに袖を通す予定だった。しかし結果はAO入試で不合格。そのときの裕也の様子を母・純子さんは鮮明に覚えている。 

「慶応に落ちたって分かって、裕也が(自宅の)2階にある自分の部屋に駆け上がっていったんです。泣いてるんじゃないかって、部屋をのぞくと……。そしたらあの子、机に向かって勉強してるんです。『まだ一般入試がある』って。息子なんですが『何だ、この子?』って思っちゃいました。結局、慶応にはいけませんでしたが、あの子にとってターニングポイントだったと思いますし、ポジティブな性格が彼の人生を好転させてくれたと思います」