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シンガポール出身の27歳 なぜ彼女は中日ドラゴンズの熱狂的ファンになったのか

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/08/11

 コロナ禍に全世界が苦しんでいる今季、野球界にも当然その影響は大きく表れています。NPBは上限5,000人から中々観客数を増やせず、メジャーリーグに至っては打ち切りまで噂されています。現実問題として、今後どう経営を維持していくのかを真剣に考えているところでしょう。でもだからこそ、これまで掲げてきた理念を忘れちゃいけないと思うんです。

 昨年から、パ・リーグの試合は台湾で放映が開始され、ソフトバンクは本拠地に訪日外国人専用シートを設置し、巨人の公式HPは日・英・韓・中の4カ国語に対応しています。こういう動きはみんなでやらないとしょうがない、 “プロ野球”というコンテンツを海外に売り出そう、というのはプロ野球界全体の意思だったはずなんです。せっかく進めてきたんだから、コロナ禍だろうとなんだろうと、こういう活動は絶対に続けて欲しい。

(追記:入稿後、「パ・リーグ公式戦200試合以上 アメリカ国内で生中継へ」というニュースが報じられました。しっかり動いていたようで何よりです)

 そこで、こんな人に話を伺うことにしました。中日ドラゴンズの熱心なファン、シンガポール出身のラシダ・タンさんです。“野球不毛の地”シンガポールで生まれ育った彼女は、現在27歳。大学入学を機に来日するまで、中日ドラゴンズどころか野球のルールさえもほとんど知らなかったそうです。しかし次第にプロ野球観戦にのめり込み、今では静岡への出張帰りにナゴヤドームへ野球を観に行き、給料の大半をドラゴンズグッズに捧げる、熱狂的なドラゴンズファンとなりました。

 なぜ彼女はドラゴンズを好きになったのか? NPBに求めることは? 無観客試合を経て、改めて「ファンの存在」が注目されている今季こそ、その声に耳を傾けてみてください。

ラシダ・タンさん、自作の京田陽太スタジャンと共に

中日ドラゴンズのファンになるまで

 はじめまして、ラシダ・タンです。中日ドラゴンズが大好きで、特に大島洋平選手のファンです。

 私はシンガポールで生まれ育ちました。シンガポールでは野球はメジャーじゃないので、お父さんもお母さんも野球のルールはほとんど知らない。私も体育の授業で少しソフトボールをやったくらいでした。シンガポールに住んでいた時は、スポーツ観戦もほとんどしていなかったので、まさか自分がこんなに野球を好きになるとは思っていなかったです。

 野球を好きになったのは、日本に来てから。英語が通じない国に住む、というチャレンジをしたくて、2011年10月に秋入学で名古屋大学に入りました。その年に、ドラゴンズが優勝してますよね? イオンモールで優勝セールをやっていたんです。それを見て、「私が住んでいる街には中日ドラゴンズという野球チームがあって、勝つと大セールをやるんだな」と、まずそこで認識したんですよ。

 それからしばらく経って、大学4年生の時ですかね。漫画「ダイヤのA(エース)」にハマったんです。それでまずは野球のルールを覚えました。野球ってルールが難しいですよね? 大学で野球が好きな人達からソフトボールに誘われたりもしたんですけど、全然ルールを覚えられなかった。だけど漫画やアニメからだったら、複雑な野球のルールも覚えやすいと思います。YouTubeには、アニメ版が色んな外国語の字幕がついて上がっていますけど、あれは野球を知らない外国人にとって凄くわかりやすいです。

「ダイヤのA」のおかげでルールも覚えたから、一回球場に行ってみようと思って、平日に初めてナゴヤドームに行ってみたんです。その試合は(お客さんがいなくて)ガラガラだったんですけど、第1打席で大島選手がヒットを打って、すぐに盗塁をして。その姿を見て「大島カッコいい!」と思って、そのまま大島選手に、ドラゴンズに惚れました。その日すぐに大島選手のユニフォームを買って、それが私が初めて買ったドラゴンズのグッズです。今でも一番大事な宝物です。

大島洋平 ©文藝春秋