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あの子どもたちを笑顔にできるのは…西武・相内誠が書いた「一通の手紙」

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/09/11

 今週もその話題か。 

 ファンから、球団から、中島大輔監督やそれこそ文春野球のコミッショナーからも総ツッコミを受けそうだが、どうか容赦願いたい。今回も、3度目の不祥事を起こした相内誠について取り上げたい。

 なぜ、3度目の不祥事を起こし、誰からも見放されている男が気になるのか。

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 それは、やはり彼が何かを起こすたびに、心に傷を負った子どもたちのことを思い出してしまうからである。児童養護福祉施設の卒業生。彼が背負うものは大きく、それだけに期待もかけてきた。

 筆者が“房総のダルビッシュ”に初めて会ったのは2012年のドラフトから2週間後のことだった。

 西武ライオンズから2位指名を受けた選手のプロ入りへ向けた取材、ではない。

 あるお願い事があり、彼が当時、通っていた千葉国際高校(現翔凛高校)野球部グラウンドへ向かったのだった。

 と言うのも、2012年秋、筆者は関西で開催されたチャリティーイベントに参加した。児童養護福祉施設の子どもたちをUSJに招待して一緒に遊ぶという企画だ。児童養護福祉施設は、虐待や親に教育能力がないなどの理由により、子育て不全となった子どもたちを預かる。一般家庭の子どもたちが楽しめる遊びを体験できない施設の子たちに楽しい時間を提供しようというのがイベントの趣旨だった。

 グループは10くらいに分かれ、それぞれに大人と子ども計10人ほどがいる。グループごとでアトラクションを楽しむのだが、どこを回るかは子どもたちの希望に沿う。当然、待ち時間がかなりあるので、その間、話す機会に恵まれる。筆者のグループにたまたま野球少年がいて、彼が自慢げにこんな話をしたのだった。

「施設出身の選手がプロ野球選手になったん知ってる?」

 それが相内だった。

 当イベントの数日前にあったドラフト会議で、相内が西武から指名を受けたことは知っていたが、まさか、児童養護福祉施設の子だったとは。

 少年は誇らしげだった。

 当日のイベントは大きなアクシデントが起きることもなく、無事に終了。施設の代表者からもお礼の言葉が贈られるなど充実した1日だった。

 このイベントには続きがあった。1ヶ月後に、今度は我々大人たちが施設を訪問するというものだ。普段から彼らが生活している様子を視察することが目的で、少し早めのクリスマスパーティという催しだ。

 そこで筆者は相内のことを話していた少年の希望に満ちた表情が気になり、相内本人に、施設へ手紙を送ってもらうことを思いついたのだ。

相内誠 ©時事通信社

私は「一人」ではなくなりました

 翌週、関東に行く予定があったこともあり、早速、千葉国際高校に手紙を送った。スポーツライターをしていること、チャリティーイベントがあったこと、相内選手に憧れを抱いている子どもたちがいること。それらの旨を伝えた上でお願いをしたところ、二つ返事の快諾を得て、相内と会うことになったのだった。

 東京駅で内房線に乗り換えて、千葉県君津市にある、学校へ向かった。

 すでに数社のメディアから取材を受けるなど、相内は時の人となっていた。

「相内です。手紙を書いてきました。よろしくお伝えください」

 簡単な挨拶を交わした後、相内がしたためた手紙を差し出してくれた。

 ものすごく丁寧な字で書かれた手紙は、要約するとこういった内容だった。

「私にとって、野球は自分の支えでした。私に多くの人との出会いをくれました。だから、今の私には支えてくれる多くの人がいます。夢を持って進んでいくことで私は『一人』ではなくなりました。夢は努力すれば必ずかないます。だから皆さん絶対に諦めないでください」

 家族も身寄りもなく施設で寂しくしているだろうことを慮っての言葉は、相内にしか書けないものだった。「一人ではない」に相内の想いが込められている。

 施設訪問の際のイベントでは相内の手紙を代読させてもらった。

 反響は大きかった。勝手な感傷かもしれないが、筆者が訪問した先の子どもたちは大人を信用していないと感じることが何度かあった。性的虐待などを受けている影響もあるかもしれない。初対面の我々には簡単に打ち解けてはくれないのだ。USJで遊んでいる時も名前をなかなか教えてくれず(参加者は名札をつけているが、見えないところにつけていた)距離を感じたし、慣れてきたなと思って話しかけてもプイっとされることもあった。

 ところが、相内の手紙を代読したあとの子どもたちは筆者のもとを離れなかった。

 男の子、女の子に関係なく、くっつかんばかりに。

 彼らにとって、相内の手紙は希望だったのだろう。

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