――ちょうど72~3年生まれといえば、日本でも『Niji Project』で人気のJYP代表、J.Y.Parkさんが桑田佳祐さんや小室哲哉さんをリスペクトしていたり、BTSなどを輩出したBIG HITのパン・シヒョク代表が中森明菜さんの大ファンを公言していますよね。韓国を代表する音楽プロデューサーの方々がJ-POPを話題に出すことは、そうした背景と通じるのでしょうか。
パク その通りですね。当時の日本音楽や文化を好きだったJ.Y.Parkさん世代の方たちが、いま韓国で重要な地位に就かれたことで、音楽界だけでなく色んなジャンルに当時の日本文化の要素が取り入れられていると感じます。
高校2年でゲーム音楽の作曲家に
――パク社長は、ゲーム音楽の作曲家でもあるのですよね。ゲーム音楽を作り始めたのはいつからですか?
パク プロとしてのスタートは98年、高校2年生のときです。当時、韓国でゲーム音楽を作る人は10人もいなくて、その中でも僕は特に若い方でした。ゲーム音楽だけで言うと、作曲歴は25年ほどになります。
――そうして、ゲーム関連の会社「エスティメイト」を立ち上げたんですね。
パク はい。ゲーム音楽からスタートして、広告映像、MVなどのコンテンツを作る会社となっています。新しいゲームができ、どんな芸能人を採用するかという内容を検討するうちに、社内に歌える芸能人がいても良いのではという話が出てきたんです。そんな折にYUKIKAと出会いました。
社内では「日本要素を前面に出すと不利になるのでは」という声も
――リリース早々に、8ヶ国のiTunesのK-POPアルバムチャートで1位を記録したYUKIKAさんのファースト・アルバム『SOUL LADY』ですが、1曲目から、東京の羽田空港からソウルの金浦空港へ到着する「From HND to GMP」で始まって、日本語をつぶやくだけの曲もあったりと、YUKIKAさんが日本人であることが活かされたアルバムだと感じます。
パク 実は、会社内部からは、日韓関係の摩擦もある中で、日本の要素を前面に出すことは不利になるのではという声もありました。
でもアーティスト本人も日本人ですし、“韓国のもの”としてラッピングするのでなく、韓国と日本がミックスされた作品にしようと思いました。きっと個性になる、音楽的にしっかり作れば理解されるだろうと。結果、ネガティブな反応は全く無いですね。