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 1年の秋。左肘に突然激痛が走った。ボールを投げるどころか持つことすらできない。毎日やることといえば、ひたすら走ることだけ。多い日はグラウンドの両翼にあるポール間走で片道80本を走り抜いた。投手にとって生命線の肘と肩を使わないトレーニングしかできない。走る本数を数える「正」の字を見ると、今でもあの時のことを思い出すほど。

「負けず嫌いなんですよね。自分からは絶対逃げない。父親からも『陰でこそこそするな! 真正面からぶつかれ!』と昭和仕込みの根性論を小さい時から教え込まれました。けがと向き合い絶対プロに行くと何千、何万回も言い聞かせました」

 高校、大学、中日でも1年先輩の滝野要外野手(24)も、橋本が必死にもがいていた姿を思い出す。「あの頑張りをみんな見ていた。『何であいつは投げられないのか』と陰口をたたく人はいなかった」。

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1年先輩の滝野要と ©報知新聞社

 しかし、願っても症状は良くならない。結局2年の夏どころか3年春まで肘の状態は改善しなかった。実は中日入団後のメディカルチェックで分かったことだが、このときに肘が折れていたのでは?という様子が見受けられたらしい。なお、現在はすでに完治しており、不安は全くない。

 待ちに待った復帰登板は3年の5月。対戦相手は全国屈指の強豪・智弁和歌山だった。4回4失点。特大の本塁打も1発浴びた。でも結果じゃなかった。

「野球を始めて投げられることが当たり前だった。普通にマウンドでボールを投げることがこんなにうれしいことだと思わなかった」

 後に橋本がチームメートから聞いた話だが、かつて東邦を率い、全国制覇も果たして“鬼”と恐れられた阪口監督と、同校の寮長も務めていた高橋先生の2人が、橋本の復帰登板の姿を見て、ベンチで涙を流して喜んでいたという。

竜の絶対エース・大野雄大から受けたアドバイス

 即戦力として期待されたルーキーイヤー。プロ1年目がコロナ禍に巻き込まれ、一筋縄じゃないスタートになった。

 シーズンが開幕する前。入団会見の席で「ぜひ話を聞ききたい」と憧れた大野雄大投手(32)から声をかけられた。

「ハッシーはいい球を持っている。強い直球にいいスライダーもある。ホームベースの上で勝負したらどう?」

 打者のレベルが大学時代とは次元が違うプロ野球の世界。知らず知らずのうちに細かい精度ばかりを追い求め、本来の武器である力強さや荒々しさを忘れかけていた。

 アドバイスを受けて即実戦。試合で投げ終えると、大野雄は「俺が言ったこと聞いて、実戦してくれたんや」と、自分のことのように喜んでくれた。セ・リーグを代表する投手が自分の投げる姿を見てくれる。不安は一つずつ解消された。

「いくつ勝ちたいとかはないです。タイトルもまだピンとこない。まだプロ1年目ですから。大事なのは困った時『橋本』と指名してもらえること。大野雄さんや岩瀬さんだってそう。チームが困難に直面したとき、先発でも中継ぎでも逃げずにその仕事を全うすることが大事だと思うんで」

©報知新聞社

 背番号13はまだまだ未完成かもしれない。でも、その分伸びしろはたっぷりすぎるぐらいある。打たれても、心が折れそうになっても負けずに、大きな壁を乗り越えてきた。痛感するプロの実力。それでも「逃げない」と心に誓い、今日も思い切り腕を振る。

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