波乱万丈のプロ野球生活だった。三家和真は昨シーズン限りで現役を引退。2021年からスカウトとして関西を中心に活動を開始している。11年育成4位で広島に入団。2年で戦力外通告を言い渡された後は14年に信濃グランセローズ、15年、16年と石川ミリオンスターズと独立リーグを渡り歩き、17年から千葉ロッテマリーンズで4年プレーし現役を引退した。
「若くしてカープを自由契約になって独立リーグで3年間やらせていただき、縁あってマリーンズに入ることが出来ました。そしてプロ入り初ヒット、初本塁打を打つ事も出来ました。独立リーグに入る時には野球を辞める選択肢もあった中で、諦めずにやり続けて本当によかったと思います。逃げずにチャレンジしたことを自分では誇りにしています。スカウトとしては右も左も分かりませんが、マリーンズで活躍できる選手を見つけられるように、色々なところに足を運んで情報を集めて頑張りたいと思っています」
引退を決めた昨年12月。三家はそのようにコメントし、第2の人生を歩み始めた。思い描いていたようなプロ野球生活を歩むことは出来なかった。しかし、悩み、もがいた日々はスカウトとなった今、振り返ると人生において貴重な経験をしたと思えてくる。なによりも逆境から逃げずにぶつかった事は次なるチャレンジを行う上で大きな自信になっている。
衝撃の連続だった独立リーグでの日々
プロ1年目の7月。練習中に右膝の半月板を痛めた。8月をリハビリに充て9月に復帰も、再び同じ場所に違和感を覚えた。10月に手術。ルーキーイヤーを棒に振った。2年目は春季キャンプには参加をすることもできず、夏場にようやく復帰。しかし、オフに待っていたのは戦力外の通告だった。広島では支配下登録されることなく、わずか2年間、リハビリに明け暮れただけで終焉を迎えた。
ショックのあまり野球を辞めることも考え、想い悩んだが、高校時代の恩師や家族からは「まだ20歳と若いのだから可能性を探ったほうがいい」と背中を押された。だから独立リーグで野球を続けながらNPB復帰の機会を狙った。独立リーグでの日々は衝撃の連続だった。練習をしたくても専属のグラウンドや室内練習場はなく、学生などが使っている場所を借りて限られた時間しか使えない事が多かった。
経済的にも非常に厳しかった。給料はシーズン中しか出ず、手取りで10万円ほど。だから、オフはアルバイトをして過ごした。引っ越し業、ホテルでの配膳、食品工場では白衣を着てベルトコンベアーでの作業を手伝った。いろいろな仕事に朝から夜まで精を出しても生活は苦しかった。試合前の食事も空腹を満たすため白米を炊いて、ただそれだけを弁当箱に入れ込んで持参した。もうNPBには戻れないかもしれない。何度も厳しい現実を感じながらも復帰を信じて前を向き続けた。そして16年秋、マリーンズの鴨川秋季キャンプにテスト参加。ガムシャラなプレースタイルが目に留まり入団が決まった。
「独立リーグは環境、施設が違う中、必死にやっている人がたくさんいる。その姿は一番目に焼き付いています。気持ちの面で特に勉強になりました」
2019年7月21日のファイターズ戦(札幌ドーム)でプロ1号本塁打を放った。カープ入りから8年。独立リーグを経てスタンドに架けた夢のようなアーチだった。スタメン予定だった角中勝也外野手が右腕の痛みを訴えて急きょ巡ってきたチャンス。それでも貪欲に機会を待っていた男は1打席目で結果を出した。フルスイングした打球は左翼席に吸い込まれていった。連敗中の重いムードが漂うチームを苦労人が救った。