まだちょっと見慣れない背番号「18」が、バンテリンドームに戻ってきた。4月27日。中日・梅津晃大投手が、やや緊張しながら一塁ベンチ前へ現れ、深々と一礼してからグラウンドに入った。若き右腕にとって1カ月遅れの“開幕”。ようやくそのチャンスが巡ってきた。

 初の開幕ローテ入りを果たした昨季は2勝を挙げたが、シーズン途中に右肘痛で離脱。そのまま2軍でプロ2年目を終え、悔しい1年になった。逆襲の3年目はウエスタンで5試合に登板して1勝3敗。防御率1.78と好成績を残し、1軍昇格をたぐり寄せた。

梅津晃大

 187センチ、90キロ。端正なマスクにモデルのようなスタイルで、ドラ女のハートを一気につかんだ梅津。イケメン「神7」ベスト3に入るほど人気は絶大だ。グッズ売上も高橋周平、京田陽太らチームの顔と呼ばれる選手と肩を並べるほど。コロナ禍になる前からよくご飯に誘ってくれるよき先輩の柳裕也だが、イケメン案件に関してだけはなぜかライバル視されている。

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 真面目で、実直な24歳。マウンドへ上がれば人格が変わるが、普段はとても穏やかな好青年だ。コロナ禍で今年1月に開催したソフトバンク・千賀滉大との自主トレへ取材に行けないことを伝えると、宮古島で有名なチョコをお土産でくれた。知ってか知らずかはわからないが、チョコ好きの私の妻のハートも鷲掴みしていた。

 顔だけでなく心もイケメン。コロナ禍になる前の沖縄キャンプでは、練習後に球場でサインを書き続けた。私が見た中では又吉克樹と梅津の2人は長い時間ファンサービスをしていた記憶が強い。「ファンの方に応援してもらって僕らがいる。心強いですよ」。昨年3月のこと。梅津と同学年というファンから寮へ手紙が届いた。小学校の先生をしているという彼は、梅津の頑張りに刺激を受け、辛い社会人生活を乗り越えているという内容だった。「誰かのために役に立っていて良かった」。照れながら笑った。

 ルーキーイヤーから2年間の取材で引き込まれるように彼の人間性を好きになった。成長、葛藤、苦悩。多くを見てきたつもりだ。同学年のR・マルティネスとは小国通訳を挟み、大衆焼肉店で「剛腕トーク」もする。元同僚の西武・松坂大輔や、自主トレを受け入れてくれたソフトバンク・千賀にも教えを請うた。野球以外のアスリートとも交流があり、陸上の桐生祥秀や卓球の張本智和など、梅津の交友録には驚かされるばかり。でも、その中で梅津がドラゴンズにいたからこそ、出会えた大事な存在がいる。2人の“オオノ”選手だ。

大先輩・大野奨太から授けられた“金言”

 1人目は今季プロ13年目を迎える大野奨太捕手。梅津にとって真の理解者であり、東洋大の大先輩でもある。「大野奨さんの代は、東洋の長い歴史の中でも最強。しかも、そのチームを束ねたキャプテンですから。雲の上の存在です」。上下関係が絶対の野球界。1年目は、ご飯に誘われた瞬間から当日までガッチガチに緊張した。

 日本ハム時代に日本一を経験し、ダルビッシュ有や大谷翔平といった超一流の球をミットで受け止めた先輩の言葉は、常に梅津の金言になっている。特に問いかけられたのは「何のために野球をやるのか?」。

 大野奨先輩は「野球ができる喜びを心から感じて、野球が好きという気持ちを大事にすること」と教えてくれた。ケガをしても、くじけることなく前を向いて頑張ることができたのは、この言葉があったからだ。

 入団1年目の2軍戦で大野奨と初めてバッテリーを組んだ。試合後、「大谷翔平さんの気分になれました(笑)。プロ入りしてからの目標が一つかないました」と珍しくはしゃいだ。海の向こうで活躍する憧れの大スターと自分を重ね合わせ、150キロ超えの速球をバシバシ投げ込み、少年のように喜んだ。同じ1年目の9月には、巨人相手に1軍で初めてバッテリーを組み、球団史上2人目の新人初登板から3戦3勝を成し遂げた。

「(大谷)翔平のようになれるよ」と言ってもらった言葉を信じ、この2年間、梅津はひたむきに「至高のストレート」を追い求め続けている。