オマリー+ミューレン=日本一
さらに時代を遡ると、野村克也監督の下で2年ぶりのリーグ優勝&日本一に輝いた1995年の助っ人野手コンビ、トーマス・オマリーとヘンスリー・ミューレンも、当時からのファンには忘れられないはずだ。阪神時代に首位打者を獲ったこともあるオマリーは、ヤクルトでもキッチリと打率3割をクリアしただけでなく、狭い神宮をホームに自己最多の31本塁打とアーチも量産。日本シリーズでも打率.529と打ちまくり、リーグ&日本シリーズのMVPをダブル受賞した。
一方のミューレンは、前年まで在籍していたロッテではヤンキース時代の同僚であり、メジャーの実績で“格上”のメル・ホールからいじめを受けていたとも言われていたのだが、ヤクルトではのびのびとプレー。打順は下位がほとんどだったが29本塁打を放ち、ベースを一周した後の弓を引くような決めポーズもおなじみとなった。
ハウエル+ハドラー=日本一、マニエル+ヒルトン=日本一
こうして振り返ってみると、ヤクルト日本一のシーズンは、外国人野手コンビの働きが目立つ。野村監督の指揮で15年ぶりの日本一まで上りつめた1993年はジャック・ハウエルとレックス・ハドラー。広岡達朗監督の下で球団創設29年目にして初のリーグ優勝、そして日本一を成し遂げた1978年でいえば、チャーリー・マニエルとデーブ・ヒルトンのコンビである。
余談だが、のちに現役を引退したマニエルがインディアンスで打撃コーチを務めていた頃、メジャーに昇格してきたのが前出のラミレス。当時から日本に関心を持っていたラミレスは、マニエルから日本の野球についての話も聞いていたのだという。
ちなみにヤクルトに入団した外国人選手は、日系を除くと1966年(当時はサンケイ)のルー・ジャクソンが第1号。67年には新たに加わったデーブ・ロバーツとのコンビで計56本、68年には計60本のアーチを架けるのだが、ジャクソンは1969年のシーズン中、膵臓壊死により33歳の若さでこの世を去っている……。
オスナ+サンタナ=日本一?
さて、時計の針を元に戻して2021年。オスナはここまで打率.277、1本塁打、6打点、サンタナは打率.214、4本塁打、6打点と、目を見張るような成績を残しているわけではないのだが、高津臣吾監督は「チームに溶け込んで、一生懸命プレーをしているのは確かですね。素晴らしい姿勢だと思います」と、異国の地でひたむきに野球に取り組む2人の姿勢を評価する。
キャンプにもオープン戦にも間に合わなかった2人は、まだ12試合に出場しただけで、真価が問われるのはこれからになるだろう。2年連続の最下位から巻き返し、このまま上位争いを続け、過去の例にならって……。そう、4年ぶりに復活した助っ人野手コンビにかかる期待は、大きいのである。
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