新型コロナで2年ぶりに開催された夏の甲子園がまもなくフィナーレを迎える。1年前、夏の甲子園中止が決まり絶望した先輩たちの分も、今年の球児たちがハツラツとしたプレーで魅せてくれた。

 そんな高校球児の聖地での躍動を見ながら「僕の人生を大きく変えてくれた最高の場所」と振り返る選手がいる。中日・清水達也投手。4年前の夏、彼は歓喜の中心にいた。埼玉・花咲徳栄高の「Wエース」として綱脇慧投手(現・東北福祉大)とともに悲願の初優勝をつかんだ。

 その後、2017年のドラフト4位で中日に入団。プロ1年目で初登板を果たし、2年目には運命に導かれるように思い出の甲子園の阪神戦で、プロ初勝利を挙げた。ここまで通算4年間で16試合に登板(先発11試合)。3勝3敗、防御率4.14の成績を残している。

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 今季1軍の登板はここまで0。初のキャンプ1軍スタートだったが「アピール」したい気持ちが空回り。目先の成績を追いかけてしまい、開幕は2軍で迎えた。6月には右肩痛で一時戦線を離脱。それでも順調に回復し、現在は2軍のローテーションをしっかり守って1軍からのお呼びを待っている。27日の広島戦(由宇)では、残念ながら2回4失点だった。

 感情表現が豊かな背番号50。お気に入りの油そば屋の話をするときは、目を輝かせて魅力を教えてくれる。あいさつも必ず帽子を取って、ほほえんでくれる。高卒4年目とは思えない落ち着きもある。

 昨オフの契約更改では深谷市のキャラクター「ふっかちゃん」入りネクタイで登場し、郷土愛をさく裂させた。今年はグラブにも「ふっかちゃん」の刺しゅうが入った。わりと真剣に「深谷市観光大使」を目指している右腕。電話でのインタビュー中にも、わざわざスマホで「プロ野球選手 観光大使」を検索。「千賀さん、山本由伸さんがいるんだ、すごい!」と想像力を高めた。ちなみに、深谷市に行ったことのない記者にお勧めしてくれたのは、まさかの「ネギ畑」だった。

清水達也

念願だった花咲徳栄高への入学

 今年1月に東京で自主トレを共にした郡司裕也捕手が言う。「達也は自分でこう投げたいというのをしっかり持っている。マイペース、というか強い自分を持っている。例えば四球を3つ出しても、最後に抑えればいいでしょ?というふてぶてしさもある」。人生を大きく変えた花咲徳栄高への道のりも“らしさ”十分だった。

 小学4年が、達也少年の転機となった。右肘を故障し、家の近くの接骨院へ行くことに。そこで運命の出会いが訪れる。院長の息子である五明大輔さんの存在を知った。花咲徳栄高のエース。それだけでワクワクしたのだが、嘉手納高を完封した10年春の甲子園を現地で観戦した達也少年は「徳栄で野球するんだ」と夢中になった。なお、この時点で達也少年はショートを守っていた。

 子どもなりに「徳栄入学計画」も立てた。どこのボーイズやシニアから進学してくるのか徹底的に調べた。軟式出身者はあまりいないのか……。よし、それならボーイズリーグに入ろう、というところまでは良かった。だが、いざチームに入部した直後、チームのグラウンドが自宅から約1時間30分かかる場所に移動となり、無念の退団。やむなく中学の軟式野球部に入部した。部員はギリギリ9人集まるか、集まらないかの小所帯。「ここに徳栄の人が見に来るわけないよな」。夢が遠のくのが、なんとなく分かった。

 ただ、部員が少なかったこともあり、いつしか投手をやることになった。「コントロールは抜群でしたね。今と全然違うんですよ(笑)。精密機械でしたね」と自画自賛。なんと埼玉県選抜に選ばれ、徳栄のスカウトの目に留まった。実は、誰もが聞いたことのある強豪校を含めた複数の学校から好待遇でスカウトが来ていた。周囲の大人は「徳栄は軟式出身じゃ厳しい」と、強豪校への進学を勧めたが、両親だけは達也少年の気持ちを尊重。自宅を離れ、寮生活となる花咲徳栄高への進学を後押ししてくれた。

 入学後、一気にスターダムを駆け上がったわけではないが、たゆまぬ努力を重ね、世代最強チームで胴上げ投手となった。清水は「高校日本代表にも選ばれて、ドラフトにもかかった。全てあの優勝のおかげです」と振り返る。いまだに徳栄の同級生とはLINEのグループ電話で近況報告する。近年はコロナ禍で行けなくなったが、プロに進んでも数年は、年末に富士急ハイランドの絶叫マシーンで青春したりした。「僕自身の力はそんなにない。でも、仲間には本当に恵まれました」。