鎌ケ谷で見た「負けず嫌い」
そんな平沼の努力する姿勢を見たのは、プロ入りしてから間もない頃のことだった。日本ハムのファーム球場のある鎌ケ谷へ取材に行くと、公式戦のある日でもなかなか室内練習場を後にしなかったのだ。一言だけをもらおうと軽い気持ちで取材に行った筆者はかなりの待ちぼうけにあったものだ。
その時、平沼はこんな話をしてくれた。
「投手をやりたかったというのはありますけど、小さいころからの夢はプロ野球選手になることだった。どのポジションをやることになっても、変わらないと思っています。
投手をやっているとき、ショートは簡単にこなせるように見えたんですけど、やることが色々あって学ぶことばかりです。一番下手くそなんで練習を頑張るだけです。1軍に上がる時には、しっかり準備を整えて行きたいです。お試しとかじゃなく、活躍できるだけの力をつけて上がりたい」
もっとも、日本ハムでの平沼のショート挑戦は成功しなかった。昨季はショートのスタメンとして35試合の出場はあるものの、レギュラーを掴むことはできなかった。中島卓也や石井一成の守備の壁は高く、サードに回ることもしばしばだった。また、打撃面でも一時期、ブレイクしそうな気配があったが結果を残すことができなかった。
それが今回のトレードにつながっているわけだが、一方で、彼の「負けず嫌い」な一面にも期待したくなるところもある。やられたままでは終わらない、そう感じることが過去にあったからだ。
平沼と西武の“好相性”
高校2年生の夏、平沼は甲子園準決勝で屈辱的な敗北を喫している。
大阪桐蔭と対戦した平沼は1回にチームメイトが5点を奪って試合をリードしたにも関わらず、守りきれなかった。1回裏に3点を失うと、2回2失点して同点に追いつかれた。それでもチームは奮起してくれたのだが、4回には5失点。6回途中12失点でKOされたのだ。それまで通用していた平沼の球が全く通用しなかったのだった。
詳細を話すと、実は平沼の球種がバレていたのだ。
投球に入る際に球種によってグラブの置く場所が変わっていて、それを見透かされて打ち込まれたのだ。
平沼の腕の見せ所はこの後だった。
翌春のセンバツでは同じ準決勝で大阪桐蔭と対戦して見事にリベンジを果たすのだ。エースで4番を務めた平沼は安打こそ1本のみだったが、投手として9回を投げ4安打完封。完璧なピッチングを見せた。翌日の決勝戦も勝利し、平沼は北陸勢、そして福井県勢初の甲子園優勝旗をもたらしたのである。
トレードによる移籍は日本では「戦力外に近い選手」同士であることの方が多く、好意的に見られない場合が多い。今回のトレードも、どれほどのファンが前向きに捉えているかは複雑なところだろう。
だが、どうしても期待してしまうのだ。
高校2年のあの夏の屈辱的な敗戦から、見事にリベンジを果たし大願を叶えた春の姿を思い出すたび。あるいは、自身への反省を日記に綴っていた姿勢を思い出すたびに。
甲子園優勝投手が多くいる中、また、球界屈指の負けず嫌いが集結する西武ライオンズという球団で、平沼はこのまま引き下がるわけはない、と――。
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