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2001年夏、中村剛也の衝撃 “大阪桐蔭ブランドの頂点に立つ男”が放ったすさまじい打球

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/03/25

「おーい、おばはん。そんなところに立っとったら、見えへんがな!」

「誰がおばはんや!」

 通路で立ち見をする「中年の女性」と、それに文句を言う「高齢の男性」の強烈なやりとりに、大阪の野球熱の高さを実感した記憶が鮮明に残っている。

 今から21年前の夏。2001年7月29日の藤井寺球場だった。関東の大学で野球をしていた19歳の私は、前期テストのオフ期間を利用して、高校時代の同級生サトシと初めて大阪へ高校野球を見に行った。

 私たちを含め、スタンドを埋めたファンのお目当ては、高校通算80本塁打超の右打者だった。

 大阪桐蔭の中村剛也である。

 相手の先発は、この年秋のドラフトで広島入りする国木剛太だった。全国屈指の強打者と好左腕の対決。楽しみにしていた人は少なくなかったはずだ。

 が、結果的にこの対決は実現しなかった。投球練習から、国木の様子がおかしいのだ。ボールが捕手まで届かない。試合が始まり、先頭打者にストレートの四球を与えると、2番手の下敷領悠太(法大→日本生命→ロッテ)に交代した。

 当時はインターネットの情報網が今ほど普及していない時代。国木がなぜこんなことになったのか、よく分からなかった。翌日の記事などによると、どうやら直前に左手首を痛めたらしかった。

今も忘れられない、青空へのフライ

 ともあれ、私の初めての「大阪遠征」の記憶は、あの男性と女性の強烈なやりとりと残念な降板劇が大半をしめ、肝心なところが消えている。試合の詳細は、ほとんど覚えていない。

 ただ一つ。中村剛也のすさまじい打球をのぞいては。

 試合序盤だったと思う。SSKの金属製バットから放たれた打球は、真っ青な空に向かって舞い上がった。

 その高さたるや。ホームランではない。アウトになった。遊撃手が捕ったか、外野手のグラブに収まったかは記憶があいまいだが、とにかく滞空時間の長さに驚いた。これがドラフト候補の放つ打球なのだなと。

 思えば、この時の大阪桐蔭はすごいメンバーがそろっていた。2番打者には2年生の西岡剛(阪神など)がいて、エースはのちに阪神で活躍する岩田稔だった。

 大阪桐蔭の西谷浩一監督に、雑談の中で質問したことがある。「どの代が一番強かったですか?」と。

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